Photo by Yoriko Kato
「俺たちは遠慮しすぎていたってことがわかった」
今年4月26日、大阪市内のホテルで開かれた会合に出席した大川小児童遺族の佐藤和隆さんは、話し合いの感触を確かめるように、そう話した。
佐藤さんは大川小で、当時6年生だった三男・雄樹君を亡くした。
この日、佐藤さんら大川小の遺族と顔を合わせたのは、前年の4月16日に韓国・珍島沖に沈んだ大型旅客船「セウォル号」で、修学旅行中の檀園高校生の子どもを亡くした3家族4人と「大邱地下鉄火災事件」の遺族3人。。前日の25日に、事故から10年を迎えたJR福知山線の脱線事故の追悼集会に参加するために来日していた。
引き合わせたのは、JR福知山線の遺族の藤崎光子さんと支援者、学校事件・事故の遺族らだ。セウォル号の遺族が大川小の遺族と会うことを希望し、メディアには非公開を条件に顔合わせが実現した。
津波が来る直前までの約50分間、避難の指示を待ち、校庭で待機していた大川小と、沈みゆく船内で、指示通り救出を待ち続けたセウォル号。子どもたちが直面したであろう恐怖を想像しながら2つの事故に共通する点を確かめると、一気に打ち解けた。
事故後の苦しみを分かち、励ましあった。話の内容は、事故検証、安全であるべき現場での組織の安全管理体制の問題など、事故後の対応のあり方や国や組織の構造の課題にまで及んだ。国を超え、安全文化を共有していこうというセウォル号の遺族の呼びかけに、大川小の遺族も大きくうなずいた。
遺族として顔を上げて生きる
セウォル号の遺族たち
Photo by Y.K.
セウォル号で、高校2年の息子、イ・チャンヒョン君が犠牲になった母親のチェ・スンファさんは、頭にニット帽をかぶった姿で会合に臨んだ。多額の賠償金で事態収拾を優先しようとする韓国政府に抗議する大規模なデモに参加し、船体の引き上げや本質的な真相究明を求めて髪を剃りあげたひとりだ。
(参照:「セウォル号沈没事故から1年 遺族はなぜ、丸刈りになって抗議するのか」/ハフィントンポスト)
他の会合参加者らもみな、セウォル号の死者・行方不明者の哀悼を意味するリボンやリストバンドなど、黄色いものを身につけていた。遺族や関係者、支援者であることがわかる目印だ。