なぜ単語によって覚えやすさが違うのか

 私が「クッキー」という単語を覚えたときを例に、つながりの生まれ方を見ていこう。幼い私は、バターや小麦粉や砂糖の香りと熱気を浴びながら、オーブンの前で10分じっと待っていた。オーブンが開いてクッキーが出てくると、冷めて湯気が出なくなるまで見つめた。

 もうこれ以上は我慢できないとなったとき、父親がグラスに入ったミルクをくれて、私はクッキーをつかんだ。このとき初めて、『セサミストリート』に出てくるクッキーモンスターがクッキーを愛する気持ちに共感した。

 私のクッキーに関するニューロンのネットワークには、見た目、香り、味が含まれている。音の要素もある。「クッキー」という単語の響きや、グラスにミルクを注ぐ音も覚えているからだ。自分で焼いたクッキーを食べるときの父親の笑顔も覚えている。初めてクッキーを食べた体験は興奮の連続であり、このときにニューロンの強固なネットワークが生まれた。

 そのおかげで、クッキーを見るたびにネットワークが生まれたときのことが思いだせる。慣れ親しんだバターの香りがすれば、初めてクッキーを知ったときにできたニューロンのつながりが反応する。そしてクッキーの見た目、味、その単語の響き、クッキーに対する感情が脳内で再生され、幼少時に初めて食べた体験がよみがえる。

 それでは、私がクッキーを覚えたときの体験と別の体験を比較してみよう。今、新たに「mjöður」という架空の単語を覚えるところだとする。この単語を覚えるときに、興奮はあまり生まれない。発音の仕方もわからないし、単語を覚えろと言われたのに意味すら教えてもらえていない。これでは単語の構造を眺めるだけでお手上げだ。

 英語のアルファベットのあいだに見知らぬ文字が2個並んでいる、ということくらいしかわからない。何の努力をしなくても、「mjöður」のことはこの記事を読み終える頃には忘れているだろう。記事の最後まで覚えていればいいほうだ。

 私が「クッキー」という単語を覚えたときと、あなたが「mjöður」という単語を覚えたときでは、脳での処理のされ方が違う。この違いが、忘れやすさと覚えやすさの違いだ。

 私が「クッキー」という単語をずっと覚えていられるのは、この単語につながる情報がたくさんあるからだ。それこそ1000通りの思いだし方がある。クッキーに関する何かを読む、何かを聞く、クッキーを見る、匂いを嗅ぐ、食べるといったことをすれば、必ず「クッキー」という単語を思いだす。忘れることは決してない。