なぜ一般のムスリム(イスラーム教徒)は、宣教師でもないのに非ムスリムにイスラームを勧めるのか? エジプト・カイロ生まれのアラビア語通訳・翻訳家、マイサラ・アフィーフィー氏によると、その疑問の答えは2つあるといいます。

Tokyo Mosque
本記事はハフポスト日本版からの転載記事です

 ムスリム、とりわけアラブ人ムスリムと接触したことのある日本人の誰もが経験したかもしれませんが、ムスリムはちょっと仲良くなったと思ったら、イスラームの話をし、やたらイスラームを一所懸命に勧めます。それはなぜでしょう?

 その日本人は興味を示したわけでもないし、宗教的な悩みを打ち明けたわけでもありません。ただちょっとだけ仲良くなり、これから良い友人になれると思っただけです。場合によって、その「おすすめ」のせいで、関係が壊れてしまうことさえもあります。

 イスラームに関する知識をほとんど持ち合わせていない日本人が少しでも興味を示すが最後、相手のムスリムは「おすすめ」に熱が入り、どんどんエスカレートして本格的な宣教活動のように印象付けてしまうこともあるからです。

 宗教というのは、人間がどのように救済されるかを説くものですが、集団救済の宗教と個人救済の宗教に分類することができます。集団救済の宗教の例は儒教とユダヤ教で、個人救済の宗教の例は仏教とキリスト教です(徳間書店出版、小室直樹著、『日本人のための宗教原論』を参照)。

 個人救済の宗教というのは、基本的に自分さえ救済されればあとはどうでも良い、と言ってしまえば分かりやすいかもしれません。他人の救済は一切関係なく、自分が正しい道を歩めば、自分が良い行いさえすれば、救済されるということです。親、兄弟、子供の行いでさえ関係ありません。ですから、本来、他人に個人救済をお勧めする必要はありません。請うてきた人には説きますが、自ら説く必要はありませんと、仏教は説いています(同上記参照)。