西條 ちょっとした違いのようですが、目的がブレると理不尽なことが起きてしまうんです。

 逆に、こういう原理が共有されているコミュニティは、そこにいる人々がそれを視点として物事を見るようになりますから、不合理なことが起きにくくなります。組織が衰退するときには、必ず一人ひとりはおかしいと思っている決定が全体としてなされてしまう、という現象が起きます。不合理がまかり通り始めた組織は、こうして自滅の道を歩んでいくんです。

――恐ろしいことですが、いまの日本はそういう兆候がありますね。

西條 そうかもしれません。だからこそ、構造構成主義の考え方を広めたいと思っています。合理的、というのは理に合っている、ということであり、「方法の原理」とは、理に合っているかどうかを検討するための「考え方」にほかならないわけですから。

――なるほど、なるほど。これは経営のみならず、あらゆるシーンで使えそうです。 これは、「発想法」としても使えるんでしょうか?

西條 もちろん、使えますが、発想が豊かな人というのは、こういう原理がなくても、どんどん思いつくものです。ですから、むしろ発想が妥当かどうかを検証するための理路と言ってもよいかもしれません。たとえば、何かというと多数決で決めようとしますよね?

――はい。

西條 でも、意見の多いほうが妥当だという保証はどこにもないんですよ。むしろ、多数決は、票取り込みという「政治ゲーム」をすぐに生じさせてしまいます。

――確かに、そのパターン、よくありますね(笑)。

西條 多数決って、ややもすると暴力にもなるんですよ。少ないほうをパワーで従わせるのですからね。ですから、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、多数決で物事を決めたことは一度もありません。

 あくまでも、「方法の原理」に沿って、被災者支援という目的と、いまの状況を踏まえて、どういうやり方がより有効か、といった形で議論することで、建設的にどんどん進めていけるんです。

 もちろん、その観点から僕の意見よりも有効な方法を提案されたら、「それいいですね、それにしましょう」と言って、それを採用するということも何度もありました。