この背景には、実業高校の全盛がある。銚子商(千葉)、横浜商(神奈川)、福井商(福井)、県岐阜商(岐阜)、静岡商(静岡)、岡山東商、倉敷工(いずれも岡山)、広島商(広島)、下関商(山口)、徳島商(徳島)、高松商(香川)、松山商(愛媛)、高知商(高知)、熊本工(熊本)といった各地の公立商業高校や工業高校が甲子園で活躍した。

 この他、昭和54年に春夏連覇をした箕島高(和歌山)をはじめ、桐生高(群馬)、習志野高(千葉)、静岡高(静岡)、今治西高(愛媛)、津久見高(大分)なども公立高校だ。

 とりわけ選抜では、四国から初出場した公立高校は恐れられた。昭和49年蔦監督に率いられて選抜初出場した徳島の池田高(夏は出場経験あり)は、わずか11人の部員(11人しかいなかったことから“さわやかイレブン”と呼ばれた)で準優勝。

 続いて52年に高知から春夏通じて初出場を果たした中村高も部員が12人しかいなかったが、山沖之彦投手(後に阪急等で活躍)の力投で準優勝。

 60年の選抜で春夏通じて初出場した高知の伊野商は、エース渡辺智男(後に西武等で活躍)の投打にわたる活躍で桑田(後に巨人で活躍)・清原(後に西武等で活躍)のいたPL学園高などの強豪校をなぎ倒して初出場初優勝を達成した。

 さらに63年にも上甲監督率いる愛媛の宇和島東高も選抜初出場で優勝している。高野連の目指している選抜大会は、まさにこうした時代の復活なのであろう。

 しかし、全国的に知られた強豪の私立高校では、特待生制度を使わなくても生徒は集まってくる。その結果、全体的には公立高校が復活している一方で、有力中学生が特定の私立高校に集中することで、全国大会で上位に勝ち上がる高校はほぼ私立高校で占められるようになった。私立高校の2極化が進行したのだ。

平成以降、ベスト4以上の
公立高校はおよそ何割か?

 平成時代の29回の選抜大会でベスト4に出場した学校は延べ116校。このうち公立校は23校しかなく、8割は私立高校である。これを年代別に3つに分けると、その変化がよくわかる。