私が、後世に伝えたい教訓は、「東日本大震災での日本社会の対応は、放射線被ばくリスク(将来がんになるリスク)を減らすこと、特に、そのための手段として「避難」にこだわりすぎたために、多くの避難関連死を出してしまった」ことです。福島に限れば、津波震災による直接的被害で亡くなった方が1613人、避難関連を含む震災関連死が2147人です。直接、被ばくで亡くなった方は、ほぼゼロです。

 震災当時、私の判断軸は、明確でした。第一に、死亡者(直近と将来)を極力減らすことと、第二に、後遺症(身体と精神)を極力減らすことでした。私が担当する文部科学省の範囲では、その方針を貫くことはできましたが、政府全体としてみると、忸怩たる思いでいっぱいです。結果として、これだけの避難関連死を出してしまったことは、政府内で、この判断軸が十分に共有されていなかったといわざるをえません。

 将来の発がんリスクに、あまりにもこだわり、直近の死亡リスクを増大させてしまいました。当時、原子力の専門家の意見は二つに割れました。内閣参与に任命された原子力の専門家の中にも避難を強く進言する人もいました。在京のマスコミの多くが、避難拡大を政府に迫りました(地元のメディアは違います)。官邸首脳も、地元首長たちの反対を押し切り、避難を決定・推進しました。

 その結果、残念ながら、避難の途中で亡くなった高齢者もいらっしゃいました。避難がきっかけで体調を急に崩して避難後まもなく亡くなられた方も少なくありません。避難をきっかけに独居になり、そのことが原因で死期を早めておられる方が増えています。これらのことは、坪倉正治医師(現在、福島県立医科大学特任教授)や森田知宏医師(相馬中央病院内科医)らの研究によって、明らかになっています。

 結果論ですが、寝たきりの高齢の患者さんについては避難対象からはずすべきでした。また、20km圏内でも、低線量の地域はたくさんありましたが、そうした地域の避難指示解除を、もっともっと早く行うべきでした。

 一方で、相馬市の立谷秀清市長の対応は、全く異なりました。医師でもあられる市長は、住民の命と健康を守るという明確な立ち位置から、総合的にバランスのとれた判断をされました。放射性物質の飛散の分布を自ら分析され、避難は最小化して籠城するという判断をされました。結果からみれば、立谷市長の判断が正しかったことになります。

 念のために申し上げておきますが。私が問題にしている避難は、本人の意に沿わない強制的な避難ですので、自主的な避難のことではありません。