除染についても、リスク・トレードオフの問題があります。道路や住居や、人が存在する場所の除染はおおむね終わっていますが、山林などは、まだ残っています。すでに、膨大な予算がつぎ込まれています。皮肉なことに除染を続ける限り、まだ汚染されている地域だという風評はなくなりません。となると農業や観光などの再開はしづらく、仕事がないため、帰還をためらうことになります。本来、安心して戻ってもらうための除染のはずが、風評が残ることによって、むしろ帰還を阻害しているのです。

 一方で、除染ビジネスが恒常化し、既得権化し、人が住まないであろう場所の除染が進められています。何のための除染だったのか?改めて考える必要があります。除染費用がかさむことで、人づくりや地域産業おこしなど前向きな予算の伸びを抑えられている可能性もあります。

 また、これらのコストは東電や政府が負担していますが、最終的には、電気料金の引き上げや税金負担で賄わなければなりません。電気の利用者や納税者に転嫁されているのです。除染について、複層するリスク・トレードオフの全貌をだれも把握していません。

 ゼロ・リスクを追い求めることが、如何に他のリスクを増大させているか、少しお分かりいただけたと思います。

 一ノ瀬教授は次のように主張しています。

「放射線被曝は、被曝したかしなかったではなく、被曝量こそが問題(中略)人は放射線被曝のみによって害されるのではない、放射線被曝によってのみ死ぬのではない、ということです」と書いています。そして「放射線の問題というのは。なによりもかによりも、『量』の問題なのです。『どのくらい』漏れたか、『どのくらい』被曝したか、という問題なのです。したがって、『測る』ということが本質的な作業だということになります。この点はくどいくらい繰り返すべき論点です」

 そして一部のノイジー・マイノリティの声だけを聴いていると、声の大きい人たちのリスクは減るけれど、声をあげないサイレント・マジョリティのリスクは増大します。結果、社会全体のリスクが増大するわけです。

リスクを考えるもう一つの視点
ソライティーズ・パラドックス

 もうひとつ一ノ瀬教授から学んだ概念が「ソライティーズ・パラドックス」です。「ソライティーズ・パラドックス」とは、「砂の山があったとき、そこから数粒の砂を取り去っても砂山のままだが、そうやって粒を取り去っていったとき、最終的に一粒だけ残った状態でも『砂山』と言えるか」(Wikipedia)という問題です。