死刑制度の積極的意義を
考える必要がある

 日本においても、日弁連は、2020年までに死刑制度廃止をスローガンに掲げているが、とにかく死刑廃止、人権を守れと叫ぶだけで、「なぜ死刑を廃止しないといけないのか」、「そのような社会はどうすれば実現するのか」という具体案や議論がまったく抜けていると、森氏は言う。

「そもそも日本の死刑制度は、既に廃止に近いといえるほど抑制されています。なので、即刻廃止をする意義が見当たりません。死刑廃止論は、独りよがりな考え方で思考停止といっていい。死刑制度廃止論者がよく主張する『加害者にも人権がある』といった意見は、抽象的な上に一般的にも理解しがたく、説得力がないのです」

 反対に、なぜ死刑制度が存在しているのかといえば、被害者・遺族の心情に応えるためや、犯罪抑止効果などが意見としてよく挙げられる。

 森氏は、国家権力が人間の生命を奪うことは重大な事実であることを踏まえた上で、死刑制度の積極的意義が問われるべきだと主張する。

「私が考えるに、死刑とは、犯罪被害者・遺族と被告人双方の尊厳を守るために必要なものです。もし死刑制度を廃止してしまうと、被害者本人やその遺族の感情を無視することになり、これでは被害者を人間として尊重していません。一方、被告人も、自らの命を差し出すことが遺族感情に最大限適うとするならば、死刑廃止はその償う手段を国家権力が取り上げることになるため、人間として丁重に扱われていないともいえるのです」

 森氏は、死刑制度があることによって、人間が自分勝手に生きていい生き物ではなく、社会的な存在だと確認できる点が重要だという。

「殺人を犯そうとするときに、相手の死と自分の死が重なるという関係性を持つことは、現状、死刑をおいてほかにはありません。哲学者のイマニュエル・カントが言ったように『人を殺すことは、自分を殺すこと』なのです。死刑を廃止すれば、他人を殺しても自分は死なないわけですから、ある意味、人を殺す権利が発生すると捉えることも可能になるのです」

 人を殺せば、自分も死ぬ――死刑廃止によって、社会からこのルールが消え去れば、犯罪抑止力の観点から見ても大問題である。

 死刑制度を廃止すること自体を目的とするのではなく、廃止することで、どのような社会になるのかを議論をしなければならないのだが、それがまったくなされていないと、森氏は語る。死刑廃止は、それが世界の潮流というだけで簡単に決断すべきではなく、時間をかけて冷静に議論すべき問題である。