わが国のメディアでは、相も変わらず「就活」特集が組まれ、事あるごとに就職難が喧伝されている。このような環境の下では、この4月に大学3年生になる君が、自らの就職について不安になり、気もそぞろになるのは仕方がないことかも知れない。しかし、そもそも就活とは一体何だろうか?一度、原点に戻って、自らの頭でよく考えてみるべきだと思うのである。
わが国の労働慣行はガラパゴス的
君は安定した大企業、できれば金融機関に就職したいと言っていた。定年まで落ち着いて働きたいから、と。でも君が当然視している(ように思われる)終身雇用という制度は普遍的なものなのだろうか。僕は戦後の特殊な時代における極めてガラパゴス的な労働慣行のひとつだと考えている。
戦後のわが国は、人類史上、稀に見る幸福な時代だった。戦乱もなく、半世紀にわたって高度成長が継続し、人口も増え続けた。高度成長はいくらでも労働力を吸収する。企業は新卒採用に躍起となり、「青田買い」という慣行が生まれた。
けだし、戦後の高度成長はアメリカに追いつくことであり(すなわちアメリカの産業構造を真似ること)、極論すれば、市民は自分の頭で考える必要がなかったのである。霞が関が(アメリカを真似て)経営資源の配分を行い、市民は黙って一所懸命働けば所得が倍になるという夢のような時代が実現した。俗に言う「1940年体制」が開花したのであった。
所得が倍になる時代においては、ほとんどの人にはそもそも転職願望のようなものが生じない。企業の側でも、雇用調整を行う必要がない。青田買いで採用された新卒はそのまま「終身雇用」を享受することになった。終身雇用であれば、賃金は「年功序列」になりやすい。個々の人の能力を公平に判断して給与を定めることは、実はそれほど簡単ではない。それに対して年功序列は簡便で、しかも高度成長期には年々業容が拡大していくのが普通であるから、従業員の納得も得やすい。また若い間は低賃金であっても、毎年給与が上がっていくシステムなら不満も起きにくい。
ところで年功序列のもとでは、部門長などの高位役付ポストは軒並み高齢者に占拠されることになる。そこで「定年」という制度を設けて、高齢役付者が滞留しないようにする。定年退職者には、退職金や年金を支払うことで老後の生活を保証する(高度成長期であれば、退職金・年金の支払いも企業は余裕を持って行えた)。
以上、極論風に述べて来たが、要するに、半世紀に及ぶ高度成長と人口の増加が、「青田買い→終身雇用→年功序列→定年というワンセットのガラパゴス的な労働慣行」を創り上げたのである。