たとえば、試合中のアドバイスなどはその最たる例だろう。ピッチャーが試合の最中にアドバイスを受けるということは、たいていの場合、その日の調子がよくないことを意味する。そんなときに受けるアドバイスは「注意」の意味合いを多く含んでいるものだ。
「逆球が多いから注意しろ!」「ボール球が多く投球のリズムが悪いぞ!」もちろん、調子が悪いことは自分自身でも理解しているから、そういう注意をされても、心の中ではつい「自分でもわかっています!」という思いが生まれてしまう。
そういう状況を打破できるような、具体的で即効性のある、技術的アドバイスなら別だが、試合中になされるアドバイスのなかには、そうではないものも含まれてくる。周囲が「よかれ」と思って助言してくれていることはわかってはいるが、試合中の自分にはプラスにならないと判断したら、そういうアドバイスは「あえて受け流す勇気」も大切になると思う。
「後輩たちの成長」も練習における醍醐味
試合中、ピッチャーは一人でマウンド上で戦わなければならない。「おれがエースだ! 打てるものなら打ってみろ!」くらいの気概がなければ、目の前にいるバッターを抑えられないと思う。
プロとして、個人事業主として、自分の力を示し、己の力を証明し続けていかなければ、この世界では生き残っていけない。
もちろん、自分ひとりの力ですべての問題を解決できると言っているわけではない。しかし、そういう場合でも、同僚や仲間からの助けを待つのではなく、自分で自分に足りない要素を分析して、その不足分を自ら補足していくような姿勢が求められるだろう。
今年いっしょに自主トレに励んだ若手投手たちにも、こういう意識をぜひ持ってもらいたいと思う。プロ野球は実力の世界だ。どんなに年齢が離れていようと、野手ならレギュラーの座を、投手なら先発・中継ぎ・抑えといった限られたポジションを奪い合うライバル関係にある。
でも僕は、ライバルとなりうる若手の成長に恐怖を感じたりはしない。これは強がりでも何でもなく、彼らが成長していくことは、とても喜ばしいことだと僕は思う。プロ野球での先輩と後輩はそういう関係性にあるべきだし、それを繰り返しながらチームや組織は強くなっていくのだろう。