世界卓球「銀メダル」!大躍進の礎を築いた「20世紀を代表する日本人スポーツマン」とは?『ピンポンさん』(角川文庫)
城島充・著 778円(税込み)

「国旗を汚されるというのは、外交上大変なことだ。それが世界選手権のハンガリー戦で君たちの間に人道的なプレーがあったと報じられた。すると、信じられないことだが、日本大使館に対する投石や国旗を汚す行為もぴたりやんだんだよ。自分は総理大臣としてそれが一番うれしかった」と。

 これが強烈な成功体験となったのかもしれません。その後、荻村さんは62歳の生涯を閉じるまで「スポーツは国境の壁も人種の壁も越える」という信念を貫き、ピンポン外交官として多くの夢を実現していったのです。

「モスクワ五輪」で日本のスポーツは政治に屈した

 時代は変わりましたが、「国境の壁も人種の壁も越える」というスポーツの素晴らしさは変わることがありません。

 平昌五輪では、小平奈緒選手が競技後にライバルの韓国イ・サンファ選手を抱きしめて称えた姿が喝采を浴びました。決して「観客からどう見られるか」を意識して抱きしめたのではなく、アスリート同士、お互いがお互いをリスペクトし合っているからこそ生まれたシーンです。

 本人はただ一所懸命に競技をしているだけなのに、それが結果として、見ている者たちを感動させ、ものすごいメッセージを届けられる。そのようなことがスポーツの現場では起こりうるのです。

 2020年には、東京五輪・パラリンピックが開催されます。「国境の壁も人種の壁も越える」スポーツと平和の祭典です。もし、荻村さんが生きていたら、この舞台からどのようなメッセージを世界に発信しただろうか。開催が決まって以来、私はずっとそんなことを考えるようになりました。

 オリンピックについて、日本のスポーツ界には苦い記憶があります。
 1980年のモスクワ五輪ボイコットです。ソ連のアフガニスタン侵攻を、アメリカのカーター大統領が激しく批判。モスクワ五輪のボイコットを表明しました。

 西側諸国にもアメリカの決定に従うよう要望し、日本政府は従いました。柔道の山下泰裕さんやレスリングの高田裕司さんたちがボイコット決定に悔し涙を流す映像は、まだ10代半ばだった私の脳裏に強くやきついていますが、このとき、西側とされるすべての国がアメリカに従ったわけではありません。

 イギリスやフランスは、「政治」という面ではカーター政権に追随しながらも、「スポーツ」は政治とは別であるとし、国内のオリンピック委員会の権限と責任でモスクワ五輪に参加したのです。その後のモスクワ五輪ボイコットを振り返る日本の報道を見ても、この事実は意外と忘れ去られているように思います。

 あのとき、日本の「スポーツ」は「政治」に屈したのです。「スポーツが求められているのは、政治からの自立だ」と訴え続けた荻村さんは、国際卓球連盟会長に就任後、この件についてこう語っています。