「日本のモスクワ五輪ボイコットがよかったのか。今考えると、ボイコットの意義はなかったと思う。もし、参加していたら、日本はソ連に対してもっとはっきりモノをいえたのではないですか。いまの日本にとって対米協調が国是であることは認めますが、スポーツまで米国の意向に従う必要があったか。三権分立並みとはいわないが、スポーツをもっとのびのび、おおらかにやらせたらどうですか」
東京五輪で日本は何を発信すべきなのか?
モスクワ五輪から40年後に迎える東京五輪――。
もし、荻村さんがいたら、きっと「日本のスポーツは変わった」ことを世界に発信する舞台にしたのではないかと想像します。
かつて日本のスポーツは、政治に屈服せざるを得なかった。しかし今は違う。スポーツ主導で、こんなに素敵な大会を開くことができるようになったんだ――。そのようなメッセージを伝えるために、最前線で邁進しているのではないかと夢想するのです。
2012年のロンドン五輪・パラリンピックでは、陸上界のスーパースターでモスクワ、ロスと二大会連続で男子1500mで金メダルを獲得したセバスチャン・コー氏が招致活動から本番の大会運営にいたるまでの間、組織のトップに立っていました。組織委員会にも多くのスポーツ関係者を登用し、まさにアスリートファーストの視点からオリンピック・パラリンピックを運営したことが成功につながったと言われています。コー氏はまだ50代の若さでした。
ひるがえって、東京五輪・パラリンピックはどうでしょうか。
首相経験者が組織のトップを務めることが悪いとは言いません。しかし、彼が長年の政治活動で培った人脈や経験、知識は後方支援の形でも十分いかせるのではないでしょうか。
都知事が変わったとたん、競技会場をめぐって現地の県知事も巻き込んだ「政治ショー」が繰り広げられたように、このままでは政治主導のまま、東京五輪・パラリンピックを迎えてしまうのではないか。そんな危惧を抱いています。それでは、スポーツが政治に屈したモスクワ五輪のころと、日本の社会は何も変わっていないではないか、と。
拙著『ピンポンさん』は、荻村さんの壮絶な生涯を、彼を支え続けた武蔵野卓球場の女性場主、上原久枝さんとの交流を軸に描いたノンフィクションです。卓球界のトップとして世界各地を奔走しているとき、荻村さんは上原さんにこう語っています。
「外国へ行けば戦争犯罪者みたいな眼で見られてきた僕らの世代にとって、日本人が世界のまとめ役をやらせてもらえるのはすごく光栄なことなんです。21世紀になればきっと、僕に続く日本人が次々と現れるはずです」
卓越した先見性を持っていた荻村さんの“予言”を現実にするのに、東京五輪・パラリンピックは絶好の舞台ではないでしょうか。荻村さんと、彼を支え続けた人たちへの取材を続けてきた人間として、東京五輪・パラリンピックが純粋にスポーツの素晴らしさを発信する大会になることを願います。スポーツの力が多くの人に伝われば、社会全体に素晴らしい波及効果をもたらしてくれるはずですから。(談)