そして自らが国際卓球連盟会長を務めていた1991年には、千葉で開催される世界選手権に向け、韓国と北朝鮮の両国に働きかけて、苦心惨憺の末に「南北統一コリア」チームの結成を実現させました。統一コリアチームは、女子団体8連覇中の中国チームを抑えて優勝。「私たちの民族が南北の壁を越えてひとつになれば、最強中国にも勝てるんだ」と、朝鮮半島の人々に大きな自信を与えました。

 大会後、北朝鮮のリ・ブンヒと韓国のヒョン・ジョンファの両エースがそれぞれの帰国の途につこうとする時、別れを惜しんで握りあった手をいつまでも離さなかったシーンは感動を呼び、このときの統一コリアチームの活躍は韓国で『ハナ~奇跡の46日間~』という映画にもなりました。

スポーツは「国境の壁」も「人種の壁」も超える

 荻村さんがスポーツの持つ力を実感したのは、1955年にオランダで行われた世界卓球選手権でのできごとです。
 当時は、ヨーロッパのどこにいっても反日感情が強い時代でした。第二次世界大戦でインドネシアなどの植民地を失ったオランダも例外ではありません。日本大使館にも連日、投石や日の丸国旗に生卵やケチャップが投げつけられる被害が続いていました。もちろん、世界選手権のコートでも、日本選手に対し、容赦ないブーイングが浴びせられていました。

 そんななか行われた男子団体の準決勝対ハンガリー戦。すべての観客がハンガリーを応援していたのですが、高まる一方だった「反日感情」が一変する出来事が起こりました。

 ハンガリー代表に、小児麻痺の後遺症で右手の自由がきかないセペシというサウスポーの選手がいました。あるプレーで、セペシ選手が体のバランスを崩し、日本側のベンチに向かって倒れてきたときのことです。

 ラケットを持たない右手が不自由なセペシ選手は、自分で自分の体を守ることができません。このままでは大けがをする! ベンチにいた荻村さんら日本選手はとっさに身を挺し、セペシ選手の下敷きとなって助けたのです。
 一瞬の静寂の後、大きな拍手が沸き起こりました。そしてこのシーンを機に、日本選手へのブーイングは止んだのです。

 そして団体戦で優勝した日本選手団は帰国後、首相官邸を訪問し、鳩山一郎首相に優勝報告をするのですが、このとき、鳩山首相が口にした言葉が、荻村さんの胸に強く残りました。選手団長の優勝報告を「優勝したことは大したことじゃないんだ」と言って途中でさえぎった鳩山首相はこう続けたのです。