生活保護の引き下げに見える
「人間のコスパ」という考え方
2018年5月22日より、2013年の改正に続く生活保護法再改正案が、参議院厚生労働委員会で審議されている。「モリ・カケ」問題をはじめとするスキャンダル、「働き方改革」法案などで大揺れの国会ではあるが、5月24日の委員会には参考人5名と与野党の委員たちが出席し、生活保護制度と生活困窮者支援全般について濃密な議論を行った。
国会の成り行きは大いに気になるところではあるが、あえて今回は現在進行中の審議から距離を置き、「人間の生命の価格」という視点から生活保護の今を眺めてみたい。
10月から引き下げが予定されている生活保護基準には、「日本での生命の価値の指標」という側面がある。しかし、「生命の価値」は多分に価値観に左右される。今回は「価値」ではなく「価格」、すなわち「その人のお値段」という身も蓋もない指標に絞ることにする。
人間の生命の価格の計り方として、最も理解しやすいものの1つは「逸失利益」だろう。不幸にして事故で生命を失ったり、後遺障害が残ったりした場合、「もしも事故がなかったら、生涯でいくら稼げたか(見込み)」を計算し、損害賠償や慰謝料の算定の基準とする。事故がなければ稼げたはずの金額と、事故後に稼げそうな金額(死亡の場合は0円)の差が、その事故による「逸失利益」だ。
逸失利益は、基本的に事故時点の収入をもとに計算されるため、その時点で無職・無収入である場合には「ない」とされる。年金生活の高齢者が事故死した場合の逸失利益は0円だ。また、事故時点で低収入であった場合には、低く見積もられることになる。
非正規雇用・個人事業主など、収入が不安定かつ低収入になりがちな働き方をしている場合には、事故の補償でも不利になる。また男性と女性では、平均収入の低い女性が不利になりがちだ。
ただし、そのときに無職であっても、子どもや学生や求職活動中などの人は、将来就労して収入を得る可能性が高い場合もある。このような場合には、は将来働く可能性を考慮して、平均賃金や過去の収入から逸失利益を計算する。「無職だから0円」ということにはならない。