愚かな決定によって
「白骨街道」が生まれた
『失敗の本質』でも分析されているインパール作戦は、日本の第15軍司令官牟田口中将が中心となり、2000メートル以上の大山脈を越えてインドの国境地帯に進出する作戦ですが、補給の成算がないという、ずさん極まるものでした。
武器弾薬が極度に欠乏し、インパールへ向かった日本軍は追い込まれ、「銃を撃ってくる相手に石つぶてを投げて応戦した」場面もあったほどです。
餓死者が続出する極限状態に陥ってもなお、河辺司令官と牟田口中将は撤退を決断できず、その2か月後にようやく撤退命令が出されると、日本軍が退却する道は、あまりに犠牲者が多いことで「白骨街道」と呼ばれます。
では、なぜこのような「驚くべき悲劇」を生み出す決断がなされたのでしょうか。何が愚かな決定をつくり出したのでしょうか?
「指揮官の個人的な熱意」は
作戦遂行の判断材料か?
牟田口中将は、ある日本軍参謀に「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」と語り、並々ならぬ熱意を訴えかけたとされています。また、上官である河辺司令官は私情から「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と考えていたようです。
しかし、ここで重要な点として、作戦遂行の可否を決断する際に、一指揮官の個人的な心情と上官との人間関係が「GOサインを出す」ための何割程度の根拠となるべきか、という問題です。
当然のことですが、「軍事作戦」ですので、作戦の戦略的意義と勝算の有無こそが「GOサインを出すか否か」の判断基準の100%を占めるべきです。
同様に、戦艦「大和」が護衛の戦闘機のないまま沖縄へ向けて出撃する際にも、「作戦の成否勝算」よりも、海軍の「敵上陸地点に切りこみ、ノシあげて陸兵になる覚悟」によって上層部は「大和」特攻の「空気」を理解したのです。