映画は、敗戦直前の東京から始まります。1945年5月に東京を襲った米軍の空襲で一緒になった氏家真知子(岸)と後宮春樹(佐田)は助け合いつつ難を逃れ、有楽町の数寄屋橋で別れます(当時の数寄屋橋には堀と橋がありました)。

 その際に引かれ合った2人は「半年後の11月24日、それがダメならまた半年後、この橋で会おう」と約束します。しかし、名前や住所、連絡先を聞いていないし、敗戦に伴う混乱は2人にも容赦なく襲いいかかり、なかなか2人は数寄屋橋で会えません。

 空襲から1年半がたち、ようやく会えたと思った時、既に真知子は浜口勝則(川喜多雄二)という官僚と婚約しており、その後も2人は擦れ違いが続きます。そして東京だけでなく北海道や新潟県、長崎県、熊本県などに話の舞台を移しつつ、浜口と真知子の離婚調停などドロドロした人間関係が描かれます。

 その中で一瞬、肺炎という病名が登場します。真知子をいびり続けた浜口の母、姑の徳枝が急性肺炎で高熱にうなされた際、真知子が必死に看病することで2人が和解する設定になっています。言い換えると、当時は死に至るような厄介な病気だったことが分かります。

 ここで【表】を見ると、現在も肺炎は死因のベスト3に入っていますが、当時とは状況が違います。この後、ペニシリンなどの特効薬が開発され、肺炎は死因の上位3位から姿を消すようになります(統計の分類が違う点にも留意する必要があります)。

 しかし、近年は肺炎で亡くなる人が再び増えてきました。その一因として、認知症の高齢者などが食べ物を飲み込む際、誤って気道に入ってしまうことによる誤嚥性肺炎が挙げられます。若者に比べて抵抗力が弱い高齢者人口の増加が死につながる病気の変化につながったわけです。

 こうして見ると、戦後の疾病構造がいかに変わり、どれだけ日本人の「死に方」が変わってきたか分かるし、その結果として、映画における病気の描き方も大きく変わったことを理解できます。今後、新薬の開発や寿命の延伸が進んだ場合、どんな病気が映画で描かれるのでしょうか。