私たちがオズール社を訪れて驚いたこと――それは、2008年の金融危機を経ても、彼らの経営が全く傾かなかった、と聞いたときである。アイスランドの多くの企業が金融危機の影響を受けたにもかかわらず、である。というのも、人口がわずか32万人のアイスランドにおいて、交通事故や病気で足を失う事態に陥る人は、さほど多くない。だからこそ、彼らにとっては、よい商品を提供することと同じくらい、開発や経営などの重要な機能を欧米など各地に分散させることが重要だった。また、彼らが扱う商品は医療領域のため、景気と関係なく利用者の生活に欠かせない。世界に通用し、そして本質的に利用者のニーズに応える商品を扱っていたからこそ、アイスランドの金融機関が破綻しても、リスクを最小限に抑えることができたのである。

 ちなみに、日本の起業活動率は3.26%。調査対象国54ヵ国中54位の最下位である。しかし、日本の地方にも、規模は小さくとも世界で高い評価を受けている技術がたくさんあるはずだ。アイスランドのような小国からも、人々の生活を支える技術がうまれ、世界で利用され、またイノベーティブだと評価されている、というサクセス・ストーリーは、日本の地方産業に大きな希望を与えてくれる。

二度の金融危機来襲にもへこたれないボイエさんの起業家精神

 実際に、起業家にも会ってきた。ボイエ・ヨンッソン(52)さんだ。

灯台があるほかは、見渡す限りの荒野が広がる、ボイエさんの自宅周辺

 彼はアイスランド国内で、ちょっとした有名人である。何しろアイスランドで初めてエスニック料理店を経営した人だからだ。レイキャビク市内から車で40分。周囲には灯台しかない。そこに、ボイエさんが現在住む自宅がある。金融危機以降借金で経営が立ち行かなくなり、自宅兼レストランのあった場所を手放し、昨年ここに落ち着いた。

  子供のころは恥ずかしがり屋だったというボイエさんが、初めて起業したのは20代半ばだった。人見知りをなおそうと、道行く人と対面せざるを得ないホットドッグスタンドを、敢えて立ち上げた。

 ボイエさんは考えた。どうせなら、普通のホットドッグじゃつまらない。スタンドをより暖かみのある雰囲気にしたくて、レンガを使った店にした。そして客に出したホットドッグにかけたのは、なんとチリソース。当時、辛味になじみのなかったアイスランド人向けに、はじめはほんの少し、そして徐々に辛さを効かせたソースに仕上げていった。「僕が、アイスランド人に辛さを教えたのさ」と茶目っ気たっぷりに語る。その後、タイで出会った妻・ノックさんと3人の子供を育てながら、アジア食材店や高級タイ料理店など、3店舗を切り盛りしてきた。