手の指先のしびれ・微熱・頭痛・嘔吐・咳などの症状が出るようになったのは翌年の秋ごろ。次第に悪化したため異動や転勤を求めたが、上司は風邪か花粉症ではないかと言って取り合ってくれなかった。

 2001年に検査分析業務から離れて事務作業の担当になったが、工場内には化学物質使用製品の在庫が大量にあり、その化学物質に反応して、体調は悪化し続けた。有機溶剤だけでなく洗剤などのニオイなどにも反応し、最終的には、強い全身倦怠・四肢の感覚異常・一時的な麻痺や引きつりなど多様な症状が出るようになった。

 Aさんは06年に専門医から「化学物質過敏症(以下、過敏症)の疑いが強い」との診断を受けた。その後も勤務を続けたが、症状は改善せず、12年にやむを得ず自主退職した。現在は自宅療養に努めているが、大幅な回復は見込めない状況だ。

 Aさんは13年に、治療費や遺失利益、慰謝料など合わせて約4700万円の賠償を求めて提訴。花王は賠償には応じられないとして争ってきた。

従業員を保護するための
安全配慮義務果たさずと認定

 裁判の主な争点は、▽Aさんの業務と発症の間に「原因・結果の関係」があるかどうか、▽花王は従業員を業務中に危険から保護するよう配慮する義務(安全配慮義務)を果していたかどうか、▽Aさんが花王に損害賠償を請求する権利はすでに消滅しているかどうか――だった。

 これらについて判決はいずれも花王側の主張をほぼ退けた。

 具体的に見てみよう。

 第一の争点についてAさんと弁護団は、作業場の環境が劣悪だったことやAさんの症状の変化を説明したうえで、「職場で取り扱っていた有機溶剤に繰り返しさらされたことで有機溶剤中毒に罹患し、さらに過敏症に罹患した」という水城まさみ医師(国立病院機構盛岡病院)ら5人の専門医の診断書を提出した(注1)

 これに加え、Aさんの検査分析業務を再現する実験をし、労働安全衛生法に定める方法による測定で、作業環境が「適切でない」という区分に当たることを示した。この区分の場合、使用者は早急に改善措置をとる義務がある(注2)

 これに対して花王側は、Aさんは検査分析業務を離れて5年が経過した2006年に「過敏症の疑いが強い」という診断が出ただけで、有機溶剤中毒にも過敏症にも罹患したとはいえない。また作業環境にも何ら問題はなかったと主張した。

(注1)有機溶剤は長期にわたって何度も人体に吸収されると慢性中毒を起こし、頭痛・めまい・手足のしびれ・筋肉の萎縮・冷え性・便秘などの症状を起こす。

(注2)再現実験は中地重晴・熊本学園大学教授によって行われた。Aさんの作業場とほぼ同じ空間で、主要な二つの作業を手順通りに実施して作業環境を測定し、「第一管理区分(適切である)」「第二管理区分(なお改善の余地がある)」「第三管理区分(適切でない)」のいずれに当たるか評価した。その結果、二つの作業とも総合評価は第三区分だった。