バブル期の社会現象再現か?
新生マハラジャに集う人びと

「ディスコ」と聞いてイメージが湧く若い人は、今やどのくらいいるでしょうか。ところがそのディスコが、今再び熱く盛り上がっています。

 バブル景気の象徴で、高級ディスコの代名詞だった「マハラジャ」が2010年11月に「MAHARAJA ROPPONGI」(マハラジャ六本木)として復活、往時を懐かしむ40代に加え、20代の若者からシニア層までがどっと押し寄せました。

 マハラジャは1982年8月、大阪ミナミに1号店をオープンして以降、北は札幌から南は九州・沖縄まで日本全国に数十店舗を展開した高級ディスコチェーンです。84年12月に東京・港区の麻布十番にオープンした麻布十番店が、それまで若者が集まる場所でしかなかったディスコの概念を根本から覆し、社会現象になるほどの人気を博したのです。

 大理石を使用した絢爛豪華な内装、ガラス張りのVIPルームといった芸能人ご用達のつくりが評判を呼び、折からのバブル景気とともにディスコブームをつくり上げ、その後多くのディスコやクラブで取り入れられた“服装チェック(ドレスコード)”や“お立ち台”の先駆となりました。ところが時は移り、やがて若者の夜遊びのスタイルが「ディスコ」から「クラブ」に移り変わり、98年4月にはマハラジャ横濱店が閉店。“伝説”とまで言われた高級ディスコチェーン・マハラジャはおよそ15年の歴史に幕を閉じました。

 私が大学生の時にオープンしたマハラジャは、当時の若者たちにとって青春の象徴ともいえる場所でした。今40代半ばから後半の私たちは、血統書付きのバブル世代です。バブル経済の最盛期、世の中にカネが有り余った狂気の時代の恩恵を十二分に受けて学生時代を過ごし、社会に出ると「新人類」と呼ばれた世代です。

 現在は部長クラスにあたる年齢層であり、可処分所得も多いこの世代は、さまざまな製品市場において重要な顧客ターゲットです。

 そんな年齢層にあたる私は、高校時代はライフスタイル誌『POPEYE』をバイブルにアメリカ文化の洗礼を受けました。アルバイトでせっせとおカネを貯めては、大量消費こそ正しいと信じ、ファッションや遊びに全額をつぎ込むことに何のためらいもありませんでした。

 高校2年の時、クラスメイトと初めて行った六本木のディスコ。フロア全体が70年代ソウルミュージックに合わせて緩やかなステップを踏んでいるの見て、思わず女子大生のお姉さんと一緒にチークダンスを踊った、あの甘い髪の香りに大人の世界を感じました。

 大学に入ると時代はいよいよバブルに突入し始めます。一晩中代官山のプールバーでビリヤードに興じ、昇る朝日を浴びて“よしぎゅう(吉野家)”で空腹を満たしてから始発で帰宅する。若かった私は、こんな生活が永遠に続くと信じて疑いませんでした。