第二次世界大戦中のフランス・ヴィシー政権の首相であったペタンと、スペインの独裁者であったフランコの主治医は、ともに親子ほども年の差がある若さであった。二人の例は、親子のような愛情と献身的な治療が必ずしも望ましい結果をもたらさないことを示している。

 モレルはヒトラーに依頼され、ベニート・ムッソリーニの主治医にザカリエを選んだ。晩年は不健康の塊であったとされるムッソリーニだが、ザカリエによる食事療法を中心とした治療方針は十分な健康をもたらしていた。ある種の情報操作がなされていたのだ。ザカリエは、ムッソリーニにとって生涯唯一の気を許した友人でもあったが、それは二年に満たない期間でしかなかった。よく知られているように、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて愛人と銃殺されてしまったのだから。

ケネディーが健康だと
豪語していた医師団は大ウソつき

 ここまで5人の権力者と主治医の話でもかなりなのだが、圧巻は残る三名、ジョン・F・ケネディー、ヨシフ・スターリン、そして毛沢東である。

 よく知られていることだが、ケネディーはアジソン病(副腎皮質機能低下症)であり、副腎皮質ホルモンによる治療をうけ、おそらくはその副作用による精神症状に悩まされていた。それだけでなく、背中の痛みのために鎮痛剤を常用しなければならなかったし、性病のひとつである非淋菌性尿道炎にもかかっていた。健康だと豪語していた医師団は大ウソつきである。

 リチャード・ニクソン相手の大統領選挙運動に疲れたケネディーの前に、覚醒剤の一種であるアンフェタミン使いの名手であるマックス・ジェイコブソンがあらわれる。そして、選挙戦の流れを大きく変えたといわれるテレビ討論会の直前にアンフェタミンを注射した。それを機会に、ジェイコブソン、またの名を「ドクター・フィールグッド」はケネディー大統領の医師となる。

 あのトルーマン・カポーティもジェイコブソンの患者で、治療をうけると「スーパーマンになったような気分」になったと書き残している。ただ、ジェイコブソンは患者にクスリの内容を伝えなかったし、当時の米国ではアンフェタミンの依存性があまり問題にはされていなかった。