その土地の生活に密着した商品が強いはずの白物家電市場で、「アウェー」の外資系2社がシェアを握っているのが掃除機だ。その裏には、日本市場に食い込む地道な取り組みがあった。(2017年7月1日号 週刊ダイヤモンド 「白物家電の逆襲」特集より抜粋)

 日本がバブル景気に沸いていた1986年。30代の若き英国人エンジニアが持ち込んだ技術を採用した掃除機「G-フォース」が、日本の家庭用品メーカーのシルバー精工から発売された。持ち込んだのは、当時無名のエンジニアだったジェームズ・ダイソン氏だ。

 「掃除機の集塵バッグが、とにかく我慢できなかった」。ダイソン氏は材木工場で見た木くずを分離する遠心分離機から、ダイソンの掃除機のコア技術となるサイクロン構造を思い付いた。

 5000回以上の試作を繰り返し、ようやく技術は完成したが、個人のエンジニアの提案に世界の家電メーカーは取り合わなかった。それを最初に採用したのが、シルバー精工だったのだ。

 その後、ダイソン氏は日本でのライセンス収入を元に英国で起業し、本社工場を建設した。いまや世界最大の掃除機メーカーであるダイソンの誕生は、紛れもなく日本が支えたのだ。

 自社で開発した掃除機を日本で販売するに当たり、「小さくて収納がしやすく軽い掃除機」でなければ、日本では太刀打ちできないと判断したダイソン氏は、かなりの開発期間を費やして日本市場にフォーカスした製品「DC12」を作り上げ、2004年に発売した。

 「吸引力が変わらない唯一の掃除機」という分かりやすい宣伝文句と、開発者のダイソン氏自身が技術を語るCMは、当時としては斬新だった。また、従来の日本の白物家電製品になかったメタリックな色や、中の機構をあえて見せるスケルトンデザインを採用し、技術の高さをアピールしたのだ。

 DC12は話題となり、大ヒットした。日本市場に参入当初の99年には1%もなかったダイソンのシェアは、08年には30%を超え、国内トップに躍り出た。

 量販店での陳列にも気を配った。競合製品のある場所にあえて自社製品を並べてもらい、消費者に実際に違いを体験してもらった。量販店を巻き込み、過当競争の日本市場で高価格帯の製品の普及に成功したのだ。

 実はダイソンの製品は他にも日本生まれのものが多い。09年に発売された羽根のない扇風機、15年のロボット掃除機、16年のヘアドライヤー。日本市場は、ダイソンが画期的な新製品を真っ先に試すための中核市場となっているのだ。