注19:高田保馬の「勢力説」については、以下の文献に詳しく解説されている。

・ 高田保馬『経済学新講第二巻 価格の理論』(岩波書店、1930)
・ 森嶋通夫『思想としての近代経済学』(岩波新書、1994)
・ 八木紀一郎『近代日本の社会経済学』(筑摩書房、1999)
・ 小室直樹『経済学をめぐる巨匠たち』(ダイヤモンド社、2004)
・ 牧野邦昭「高田保馬の価格論と勢力説」(「経済論叢」第176巻第4号所収、京都大学経済学会、2005年10月)

注20:その後、柴田敬は1936年に米国へ留学し、ハーバード大学に移籍したシュンペーターに師事する。翌1937年、英国でケインズと面談、1938年に帰国した。京大教授で敗戦を迎えたが、かなり国粋主義的で好戦的な講座をもっていたため、1946年に依願免官、事実上の追放。1951年に追放解除されると翌年、山口大学教授に就任、1958年に青山学院大学経済学部教授に転じた。

 高田保馬は1945年の敗戦時、すでに名誉教授だったが、教員適格検査で不適格とされ、学界追放。高田の場合、好戦的で国粋主義的な講座も著書もないので、反マルクス主義者だったためと思われる。1951年に追放解除後は大阪大学法経学部教授、1954年より大阪大学社会経済研究室長(後の社会経済研究所)併任。1955年に阪大退官後、1963年まで大阪府立大学経済学部教授を勤めた。その後も1965年まで龍谷大学教授。いずれも退職年齢を超えて活躍した。京大、阪大、大阪府立大の名誉教授。

 高田の「勢力経済学」について解説している森嶋通夫(1923-2004)は世界的に著名な数理経済学者である。森嶋は京大経済学部に入学した1942年から43年にかけて高田の「経済原論」と「英書講読(ヒックス『価値と資本』)」を受講した。1943年12月に徴兵され海軍で暗号士に。敗戦で復員し、1946年に京大卒業、大学院へ。京大講師、助教授を経て1951年より大阪大学法経学部助教授。同時に高田保馬が阪大教授として学界復帰し、密接な関係となった。東大でシュンペーターに「ワルラスから始めよ」とアドバイスされた当時3年生の安井琢磨(1909-1995)は、1944年に東大助教授から東北帝国大学経済学部教授に転出し、1948年から1954年まで大阪大学教授を併任したので、この時期に高田、安井、森嶋が阪大で顔をそろえた(安井は1965年に大阪大学社会経済研究所へ完全に移る)。

 また、小室直樹(1932-)さんは京大数学科を卒業すると1955年に大阪大学大学院経済学研究科に入学している。阪大で直接、高田保馬に接するとともに、森嶋通夫から数理経済学の教えを受けた。森嶋はその後、阪大社会経済研究所の内紛で1969年に阪大を辞め、英国のエセックス大学を経て1970年にロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授に就任し、1988年の定年まで勤めた。小室は1959年から1963年まで米国でサミュエルソンなどに師事し、1963年に東大大学院法学政治学研究科に入学している。

 小室さんは高田保馬の印象についてこう書いている。

 「高田博士は学内外から尊敬を集めた大学者でありながら、後輩に対しても、私を含めた若輩の学徒に接する際も、相手が恐縮するほど丁重でホスピタリティ溢れる人物だった。」(前掲『経済学をめぐる巨匠たち』ダイヤモンド社、2003)
シュンペーターが日本で示した教師としての態度を高田がモデルとしたのではないだろうか。ちなみに、シュンペーターはウィーン大学教授ベーム=バヴェルクをロールモデルとしていた。
 以上、安井琢磨、森嶋通夫、小室直樹の略歴については以下の文献を参照した。

・ 安井琢磨『近代経済学と私』(木鐸社、1980)
・ 『森嶋通夫著作集 別巻 自伝・略年譜・著作目録』(岩波書店、2005)
・ 鷲田小彌太『日本を創った思想家たち』(PHP新書、2009)より「小室直樹」の項。

 余談だが、森嶋通夫も自伝(前掲)で小室直樹さんに触れている。「小室は私の阪大時代の大学院の学生であった。能力のある人で、絶大な努力家で、将来名をなす人だと私は思っていた。しかし思想的には大違いの人であることを意識していた」と。