北欧などの国では、住宅手当や公営住宅の整備などが展開されていますし、実は日本も戦前には「住宅課」が厚生省(現在の厚生労働省)に置かれた時期があったので、むしろ戦後の日本が例外だったのかもしれません。

「住宅すごろく」の
ゴールは戸建て住宅

 では、戦後日本の住宅政策はどうだったのでしょうか。戦後、産業構造の変化や高度経済成長を受けて、都市部への人口移動や核家族化などが進展、戦後は住宅を多く整備する「量」的確保を重視していました。そして、その方策として採用されたのが団地整備、持ち家の取得支援、会社による社宅整備です。近年は国民の意識や企業の行動が変わってきていますが、民間企業や市場経済に多くを頼る住宅政策だった点は指摘できます。

 この結果、「学生時代のアパート→社宅→結婚後に少し広めの賃貸マンションに引っ越し→分譲マンションを購入→庭付き一戸建てを郊外に建設」といった形で住み替えることが一種の標準となりました。2016年に改定された国の「住生活基本計画」では、こうした住み替えを「住宅すごろく」と形容しています。

 以下、住宅すごろくを含めて、戦後の住宅政策について、いくつかの映画で見ていきましょう。まず、団地整備に関しては、1955年に日本住宅公団(現在の都市再生機構)が設立されるなど、3大都市圏の近郊に団地が次々と整備されました。

 その様子については、1961年製作の映画『喜劇 駅前団地』に表れています。映画では、団地増設を見越して病院を建設しようとする2人の医師(森繁久彌、淡島千景)、土地を売ろうとする農民(伴淳三郎)、その妻(森光子)を中心としたドタバタが描かれているのですが、その間に建設中の「百合ヶ丘団地」が随所に登場し、高度経済成長期の経済や社会の雰囲気を理解できます。

 住宅すごろくの「あがり」に該当する持ち家取得支援については、住宅ローン減税、住宅金融公庫(現在の住宅金融支援機構)による低利融資などの支援策が講じられ、戦後のインフレと相まって国民の間では「持ち家信仰」が形成されました。