弱者救済の切り札、セーフティネット住宅と簡易個室に見る明暗
貧困の子どもを救うためのセーフティネットは、今の日本であまりにも手薄だ。地域や大人は劣悪な環境から子どもを救うために、何ができるのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

子ども食堂や無料学習教室で
「清潔になって」と望む残酷さ

 地域に「子ども食堂」があり、低所得層の子どもたちを対象にした無料学習教室が開設されていることは、現在の日本の常識に近くなった。しかし、近隣に「子ども食堂」や無料学習教室があってもつながれず、必要とするものを社会からも学校からも家庭からも受け取れない子どもたちが、少なからず存在する。人数は明らかになっていない。実態や人数を把握すること自体に困難があるからだ。

 その子どもたちの一部は、児童相談所に把握されるかもしれない。さらに幸運な一部は、児童相談所などの介入を受けて、その後は必要なモノやカネや人間関係がある環境で、困難を抱えながらも育つことができるかもしれない。しかし、あらゆる「セーフティネット」から不運にもこぼれてしまう子どもたちを、向こう10年や20年でなくすことは難しそうだ。

 大人の多くは、一時的にでも「探し出したい」「何かしてあげたい」という気持ちを持つかもしれない。しかし、接触してもらうことも、関係を築くことも、関係を維持することも難しいのが現実だ。そのうちに時間が経過し、子どもは「子ども」でなくなり、何もかもが不足したまま社会に押し出される。

 特に厳しい状況にある子どもたちは、どのように「セーフティネット」からこぼれ落ちるのだろうか。まず、「子ども自身の衛生状態」という、わかりやすく極めて切実だが、語られにくい問題に注目しよう。

 様々な人々が訪れて楽しく飲食する「子ども食堂」に、身体や衣服や持ち物にノミ・シラミ・ダニが棲みついていて悪臭を放っている子どもがやってきたら、心から暖かく受け入れられるだろうか。

 食事の前に手洗いやうがいをしてもらっても、衛生面では「焼け石に水」だ。とは言え、空腹を抱えて訪れてきた子どもを追い返すわけにはいかない。互いにガマンし合う居心地の悪い状況が2回か3回繰り返され、子どもは来なくなる。「できれば歓迎したいのだけど」という“大人の事情“を、子どもは鋭敏に感じ取る。