「お金持ちは賢い」という錯覚

 ガルブレイスは「陶酔的熱病(ユーフォリア)」を発生させ、それを支える2つめの要因として以下を挙げる。

「投機的熱病とその確実な崩壊とに寄与する第二の要因は、金(かね)と知性とが一見密接に結びついているかのように思われていることである。このように言うと、立派な人々からは歓迎されないに決まっているのであるが、残念ながらこの指摘は正しいものとして認めなければならない。」

「個人が所有もしくは関係する所得とか資産とかいう形での金(かね)が多ければ多いほど、彼の経済・社会観は深くしっかりしており、彼の頭脳の働きは機敏で鋭い、と考える強い傾向がある。金(かね)こそ資本主義的成功の尺度である。金(かね)が多ければ多いほど、成功の度合も大であり、その成功の土台となった知性もすぐれている、というわけだ。」

「金持ちに対するこうした敬意というものは、記憶の短さ、歴史の無知、したがってまた、先に述べた個人的・大衆的な錯覚に陥る能力、を示唆している。」

 まさにガルブレイスらしい辛辣な指摘と言えよう。そして、金(かね)と知性に関わる錯覚は金融プロフェッショナルにも当てはまると述べる。

「われわれは、大きな金融機関──大きな銀行、投資銀行、保険、証券会社──のトップにある人たちは並々ならぬ知性の持ち主であると考える傾向がある。彼らが支配する資本資産や所得の流れが大きければ大きいほど、金融・経済・社会に対する彼らの見方も深いはずだと考えてしまう。
 しかし実のところは、こうした大金融機関のトップに立つ人たちがそうした地位にいるのは、彼らが、競争者の中でも最も言動に安心感があり、したがってビュロクラシーの観点から見て最も無害な人であるからだ、というケースが多く、このような傾向は大組織についてはごく普通に見られるところである。」

「金(かね)を貸す立場にある人は、昔からの習慣・伝統の力により、また特に借り手の必要・欲求のために、日常業務について敬意をもって接せられる度合が殊のほか大きい。そのために彼らは、自分個人の頭脳がすぐれているという自信に陥ってしまう。つまり、このように扱われるのだから自分は賢明であるに違いない、と思い込んでしまう。したがって、最低の良識を持ち続ける上で何よりも大切な自己反省ということを怠りがちになる。」

「投資する大衆は、金融の才のある偉人に魅惑され、そのとりこになってしまう。なぜこのように魅惑されるかと言えば、それは、その金融操作が非常に大がかりであることと、巨額の金(かね)がかかわっている以上それを動かす人の頭脳も偉大であるに相違ないと信じ込んでしまうことによる。」

 前述したリーマンショックなどはまさにこのケースと言えるだろう。裕福で地位も高く、自他ともに賢明であると認める人たちこそ、最も愚かなことに手を染めかねないのである。