日本がいまだバブル景気に浮かれていた1990年、1冊の本がアメリカで刊行された。タイトルは『A SHORT HISTORY OF FINANCIAL EUPHORIA』。「経済学の巨人」と称されたジョン・ケネス・ガルブレイスの著作である。翌年には『バブルの物語』として邦訳版も刊行され一気にベストセラーとなった。
古今東西で起きた金融バブルとその崩壊過程を描いた同書は、バブルを希求する人間の本質と、資本主義経済の根幹に迫ったものとしてその後も長く読み継がれてきた。
そして今、アメリカでも日本でも株価が乱高下し、経済の先行き不透明感が増している。はたして現在の経済状況はバブルなのか? だとすればその崩壊は迫っているのか? それを考える有効なヒントとするため、電子書籍版『バブルの物語』の刊行を機に同書内容を紹介していきたい。
日本のバブルを見通していたガルブレイス
ガルブレイスは、『バブルの物語』日本語版のために序文を書いている。そのなかで、国際化が進展する経済社会の時代には、世界のどこかで起きた投機とその崩壊の影響はただちに世界中へ及ぶとしたうえで、以下のように記している(原稿が執筆されたのは1990年)。
「私が見るところでは、アメリカ人は格別に投機痴呆症にかかりやすい心理を持っており、今述べたような報いを受ける度合もまた大きい。このことは今世紀および前世紀の経験が確証している。
アメリカ人というのは、自分たちが成功して金持ちになるのは神の意図であり、神は自分たちに特別の金融的洞察力を賦与されたのだ、と信じる傾向が殊のほか大きい。そしてこの洞察力に従って金(かね)を投資し、結局はとんでもない破局に至るのだ。
日本人は、私の知る限りでは、自分のビジネスの才についてアメリカ人よりはもっと地についた見方をしており、自分の才能を過信したり冒険にはやる度合が少ないようである。したがって、日本人は金融上の想像力をかけめぐらす度合が少ないように思われる。
しかしながら、断定は慎まなければならない。スイス人も日本人と同じような評判を得ている。それにもかかわらず、スイスの大銀行の一つで、最も保守的と目されていたクレディ・スイスは、10年ほど前に、その支店の一つを通じて、途方もなく大きな投機に巻きこまれ、ほとんど信じられないほどの損をした。
(中略)楽観の上に楽観が積み重なり、投資が継続し、一見うまく行っているように見えて、ついには破局に至る、といった傾向が国民性のゆえに排除されると考えてはならないのである。
最近の日本経済を見ると、株価の高騰とそれに続く鋭い反落とが印象的である。努力することなしに自分が金持ちになっていくのを目のあたりに見て、しかも自分は当然それに値するのだと信じている人たちがいるものであるが、そうした人たちの心を貫き支配しているあの熱狂が東京証券市場に存在しないと考えるのはむずかしそうである。」
アメリカ人の投機に対する姿勢を痛烈に皮肉る一方、普段は冷静な日本人がこの当時「熱狂」に支配されていることに警鐘を鳴らしているのだ。「序文」は以下のように続く。
「次に、不動産、特に東京における不動産の問題がある。不動産価格がこの数年間にいかに高騰したかは、近代経済学の奇蹟の一つとなっている。最近東京を訪れた人は誰しも、ごく小さな土地が信じられないほどの価格で転売されているという話を聞かされる。
19世紀における不動産価値の有名な批判者であったヘンリー・ジョージが攻撃してやまなかった不労所得がこれほど目ざましく生じたことは、世界史上これまで全くなかった。また、マーク・トウェインは、土地に対する投資を──『土地を買ったからといって価値が増すわけではない』と言って──擁護したものであるが、こうした弁護論がこれほど多く持ち出された例もない。
東京の不動産価格については、予測は慎むべきであるが、警告は与えなくてはならない。」
このときのガルブレイスの警告の正しさは、今となっては疑う余地もない。皆が熱狂に浮かれている真っ只中で、彼は冷徹に事実を見抜いていたのだ。その後バブルの夢から覚めた日本は、長い長い低迷期に突入するのである。