グループウェア事業を創業期から順調に伸ばしたサイボウズは、多角化を図ってM&Aへと舵を切った。しかし、そこで利益が上がらず、隘路にはまり込んでしまう。今日のサイボウズの基礎が培われたのは、当時の苦境の中で、「本当に自分たちがやりたい事業は何か」を再定義することができたからだ。青野社長が経営者としての「転機」を語る。
「一番でなければ意味がない」
創業期から走り続け見えてきた限界
サイボウズのグループウェア事業は、振り返れば出足は極めて順調だったが、創業から6年もすると持続性を失い始め、それがM&Aで多角化を志向する一因にもなった。M&Aでは10億円以上を失う痛い思いをしたが、失敗で腹が据わり、事業と会社を再定義することができて、新たな成長にも繋がった。
今回は、クラウドサービス「kintone」(キントーン)の開発に投資を集中していくサイボウズ再生のいきさつをまとめておきたい。
最初のグループウェア「サイボウズ Office」は、創業から3ヵ月後の1997年10月にリリースした。12月には単月で黒字化を果たす。創業1年目の98年7月期は、創業者3人で5800万円を売り上げた。翌年は3億円まで伸ばし、次は半年で4億円、次の年は17億円、さらに次の年は26億円と急成長していく。
創業メンバーは、極貧生活でもまったく苦にならず、会社が黒字になってからも、もっと成長させたいとの思いから、意図的に無給を続けていたりもした。
ウェブ技術を使ったアプリケーションは、仕組みがわかってしまえば比較的低コストで開発できる。競争を勝ち抜くには開発スピードを上げ、強いブランドを他社よりも先に確立しなければならない。ソフトウェアの業界は「Winner takes all」だから、一番早く成功した企業が圧勝するし、一番でなければ勝ったとは言えない。
販売担当だった私は、ブランド浸透のために徹底的に広告を打ち続けた。毎月の売上高が1億円程度だったときに、半分の5000万円を広告宣伝費に投入した。1ヵ月で5000万円の広告宣伝費など、とても使い切れる額ではない。しかし、とにかく手当たり次第に、当時数十誌あったコンピュータ雑誌のほとんどでサイボウズの広告を打ち続けた。
すると「サイボウズ Office」はさらに売れた。また新バージョンのリリースを急ぎ、広告も打ち、一気呵成にサイボウズをスタンダードブランドに育てていった。