なぜ元入所者は施設を憎んだのか
「社会的養護」の特殊性とは
2月25日午後、渋谷区にある児童養護施設で、46歳の施設長が刺殺された。逮捕された容疑者はその施設の元入所者で、「施設に恨みがあった」ということだ。容疑者は、15歳から18歳までの3年間を過ごした施設で、「手がかからない、おとなしい子」という印象を持たれていた(読売新聞記事)。いずれにしても、事件の詳細は、現在ほぼ何もわかっていない。
私自身は、事件の発生には大きな衝撃を受けたが、事件の内容や容疑者に対してはあまり驚かなかった。報道されている容疑者の過去の経歴や言動はすべて、想像力を働かせずに理解できる範囲にあるからだ。
少年期から青年期にかけての不安定さ、大人社会への期待と「わかってくれない」「期待に応えてくれない」という失望、そして「逆恨み」に見える抵抗や爆発――。すべて、大人全員が乗り越えてきた道だ。時に乗り越えられず不幸な結末となる実例は、1995年の「地下鉄サリン事件」をはじめ、過去に数多く存在する。今回の事件に特殊性があるとすれば、舞台が児童養護施設であったことだろう。
では、児童養護施設を経て大人になることは、本人にとってどのような経験なのだろうか。最初に、実例を1つ紹介したい。
児童養護施設を経て成人した30代男性が、幼児期から高校生までを過ごした施設について、目を輝かせて楽しそうに話してくれたことがある。まるで、毎日が楽しい修学旅行のようだった。親に捨てられての施設入所ではあったけれども、楽しい施設生活に支えられ、伸び伸びと学校生活を送っていたそうだ。