「引きこもり」の子が関わる事件で、親の責任はどこまで問えるか引きこもりの子が関わる事件の多くは、「8050問題」がベースにある。親の責任はどこまで問えるのだろうか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

2つの「引きこもり」関連事件
当事者である息子たちの声は

 5月28日、神奈川県川崎市で51歳の男が私立小学校に通学中の小学生らを包丁で死傷し、自らも首を刺して死んだ。男は、高齢のおじ・おばと同居していた。4日後の6月1日、東京都練馬区で、76歳の父親が44歳の息子を刺殺した。2つの事件の共通項は、「高齢の両親(または血縁者)と、引きこもり状態の息子」という組み合わせと、息子たちの「良好」とは言えそうにもない精神状態だ。

 川崎市の事件では、容疑者の男に対する「死ぬなら1人で死ね」という非難が、ネット空間に沸き上がった。4日後の練馬区の事件は、暴力を伴う引きこもり状態にあった息子が同様の事件を起こす可能性を懸念した、父親によるものだった。ネット空間には、父親に対する同情論と共感が沸き上がった。

 2つの事件の背景に、引きこもりの「8050問題」があることは、確かではないかと思われる。引きこもったまま中年期に達した子と、高齢化する親の関係の中で、こじれや煮詰まりが年々積み重なっていくことは、大いに考えられる。親が高齢期を迎えれば、介護も必要になる。

 そして親亡き後、親の年金や資産を前提に成り立っていた子の生活は、基盤を失うことになる。しかしながら、報道や「ネット世論」を見ていて私が気になるのは、引きこもり当事者の声が聞こえてこないことと、親に対する責任論の2点だ。

 2つの事件の息子たちと同年代の引きこもり中年は、少なくとも数万人以上、日本社会のどこかで生きている。引きこもりが原因なのか結果なのかはともかく、「良好」とは言えない精神状態にあることも多いだろう。しかし、ほとんど全員は事件の加害者とならずに毎日を送り、少しずつ老いている。危険な衝動や願望を抱く瞬間があっても、現実化しない成り行きを繰り返す“秘訣”は、当事者でないと語れないはずだ。

 そこで私は、引きこもり経験を持つライターで格闘家の遠藤一さん(39歳)に尋ねてみた。すると開口一番、意外な回答が返ってきた。

「もう『引きこもり』ってのは、過去の言葉なんですよ。当事者は使っていません」