“マイナス隠し”ではなく
“プラスを希求”のウィッグのあり方

 楠木教授のたとえは「リポビタンDとレッドブル」を用いたものであった。両者は成分が同じなのに(※筆者註:カフェインやアルギニンなどの成分が共通している。なおリポビタンDシリーズには複数種あるので、全てが同一なわけではない)なのに用いられ方が違う。「リポビタンDは疲労回復、マイナスをゼロに持っていく時に飲む」であるのに対し、「レッドブルはより気分や体調を上げるため、ゼロからプラスに持っていく時に飲む」という差がある。言われてみればその通りである。

 成分は似たものなのにこの差ができるのは、ひとえにユーザー側がそう認識して利用に当たっているからである。それぞれのブランド戦略で双方の「違い」が明確となった結果である。

 これと同じ図式をウィッグにも適用できるのではないか、というのが楠木教授の着想であった。「それまで薄毛隠しのためだけに用いられていたウィッグ」には「よりアッパーな気分を求める時に着用するもの」という利用方法だってあるわけである。そしてこれこそが“メタモルフォーゼ”となる。楠木教授自身がステージでウィッグを着用することで、この利用方法の有用性を証明している。なお教授のウィッグは「レッド・ツェッペリンのロバート・プラントを意識したロングヘア」だそうである。個人的には最高のチョイスである。

 教授は冗談めかして、「ウィッグをつけると全て(プレーやステージングなど)が5割増し」「(ウィッグを買えば)新しい楽器にするより音が良くなる」と話していたが、これは真であると、二足のわらじで音楽業を営む筆者は考える。

 オカルトのような根性論のような漠とした話だが、演奏のクオリティと奏者の気持ちは密接な相関関係にある。端的にいって気持ちが入るほど良い演奏となるのである。「この人はすごくいいミュージシャンだ」と思っていた人が、順当に売れっ子になって、数年後のある機会に演奏を聴くと往時のかっこよさが失われていて残念に思った経験が何度かある。テクニックは変わらずあるし、キャリアも立派なものを積み重ねたはずだが、おそらく本人に慢心や油断が生まれたのであろうか、「この現場ではこれくらいのことが求められてるから、これくらいやっておけばいいでしょ」という、残念な感じで世慣れてしまって、かつての熱い気持ちが入った演奏から遠ざかってしまった様子である。

 ともかく、音楽的には「ウィッグで音が良くなる」は正であり、メタモルフォーゼでその人にもたらされるポジティブな変化をひとつずつ数えてみるのも面白そうである。

 楠木教授はまた“異日常”という着想を持っていて、これは非日常と似て非なるものである。非日常は例えば「ハロウィンのパーティ」といった一過性のもので、異日常はその人のもう1つの日常、楠木教授でいえば「バンドマン、ロッカーとしての自分」である。非日常は瞬間で終わるが、異日常は継続されるものであり、「人が異日常を持つことで消費が増えて経済が活性化する」と教授は主張する。