チャーチルが戦争に意味とストーリーを与えた名演説

「WHAT」と「WHY」を伝えることによって、私たちは「自分たちの意味」もまた確認することができます。これを最もわかりやすく示してくれるのがイギリス首相だったウィンストン・チャーチルによる開戦演説です。

 チャーチルは、それまで多くの人にとって明確にイメージすることのできなかった「ナチスドイツの意味」と、それに対峙する「イギリスの意味」を、大きなストーリーの中で明らかにすることで、イギリス国民の心を一つにしたのです。

 チャーチルがナチスドイツの新しい意味を提示するまで、ヨーロッパの人々が考えていた「ナチスドイツの意味」とは、やがてやってくるソ連(共産主義)との戦いにおいて主導的な役割を担ってくれる国、というものでした。

 だからこそナチスドイツの傍若無人な振る舞いに対して、ヨーロッパ諸国はこれを大目に見ていたのです。

 やがてソ連が、欧州に共産主義圏を広げようとして攻勢をかけてくるのであれば、欧州にも対抗勢力になるような軍事大国が必要であり、それはナチスドイツをおいて他にない、というのが、当時の欧州インテリたちが考えていたストーリーです。

 欧州各国の人々がナチスドイツに対して考えている「意味合い」について、聡明なヒトラーはよく理解していました。だからこそ、彼はあれほど迅速にポーランドを併合し、フランスに攻め込んでいけたのです。ソ連という地政学的パワーの不均衡がなければ、このように強引な振る舞いが認められるわけがありません。

 ナチスドイツというのは、誰もがその傲岸不遜さを不愉快に思いながらも、やがてやってくる「もっと悪くて強い敵」のことを考えれば致し方ない、迫り来る共産主義の脅威と戦うにはナチスドイツのような軍事国家が欧州には必要だという、一種の「必要悪」として認められてきたという側面があります。これは特に、ソ連と地続きになっている大陸の諸国家の富裕層としては悩ましい問題だったでしょう。

 経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、その著書『隷属への道』の中で、当時のヨーロッパの人々が、ナチスドイツの「意味合い」を捉え損ねていたことを厳しく指摘しています。

「きわめて悲しむべきことだったのは、第二次大戦が勃発する以前に、民主主義国家が全体主義国家の独裁者たちに対して示した態度であった。彼らは、プロパガンダ活動と同様、自分たちの戦争目的が何であるかという議論においても、内心のおぼつかなさや迷いを露呈してしまった。それは、自らの理想が何なのか、また、自分たちが敵と対立する点はどういう性質のことなのか、はっきりと理解していなかったことを示している。」
――フリードリヒ・ハイエク『隷属への道』

 ハイエクは、当時の民主主義国家の人々が「戦争の目的は何なのか?」あるいは「自分たちの理想は何か?」「敵と私たちで対立していることは何か?」といった、極めて重大な「判断の立脚点」について「よくわかっていなかった」と指摘しています。

 つまり彼らにとって、自分たちの「WHAT」も「WHY」もはっきりしていなかった、ということです。

 今から想像することはなかなか難しいことなのですが、当時は、イギリス国内においてすら、ナチスドイツとは戦うよりも宥和を図るべきだという世論が支配的だったのです。

 理由は先述した通りで、イギリス国内の富裕層は、ヒトラーよりもボルシェビキの思想、共産主義者たちの「富の再配分」というイデオロギーの方を、はるかに危険な脅威と感じていたからです。

 政府内においてナチスドイツとの宥和を図るべきだという議論を主導していたのは、チャーチルと首相の座を争ったハリファックス卿でした。

 当時、ヒトラーは枢軸国であるイタリアを経由して、イギリスに対して宥和策を提案していました。このヒトラーの提案に対して、イギリスとしてはこれを受け入れるか、あるいは突っぱねて開戦するかという、ギリギリの選択を迫られる状況でした。

 外相であるハリファックス卿は宥和を主張します。ドイツとの宥和を勝ち取るその代償として、マルタ、ジブラルタル、スエズ運河などの資産をドイツに対して譲渡する、というのがハリファックス卿の落としどころでした。

 チャーチルはハリファックス卿のこの提案に対して激怒しますが、議会の「空気」は宥和に傾いており、まさに「論理的な説得」では流れを変えられそうにありません。

 この状況で議論を続けることは得策ではないことを悟ったチャーチルは流れを変えるため、議論が膠着状態に陥った午後5時の段階で2時間の休憩を入れ、7時に再開することを宣言します。そして会議を再開するにあたり、チャーチルは論理による説得を放棄し、一世一代の演説を打ちます。

「私は自分が「あの男」(ヒトラー)と交渉に入ることが自分の責務かどうかについて、ここ数日間、熟考してきた。しかし、いま平和を目指せば、戦い抜いた場合よりもよい条件をひきだすことができるという考えには根拠がないと思う。(中略)私が一瞬でも交渉や降伏を考えたとしたら、諸君の一人ひとりが立ち上がり、私をこの地位から引きずり下ろすだろう。私はそう確信している。この長い歴史を持つ私たちの島の歴史が遂に途絶えるのなら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってからのことである。」
――ボリス・ジョンソン『チャーチル・ファクター』

 ドイツとの交渉に応じるか否かという問題は、すでにチャーチルにとっては外交問題などではありませんでした。自分たちが向き合っている選択に「ストーリー」を与えたのです。

 それはつまり、この意思決定というのは「暴力に頼って侵略を繰り返す男と戦い、自由を信奉する私たちの国を守り通すか、あるいは滅びるか」という選択だということです。

 戦時内閣が午後7時に閣議を開始すると、すでに議論は終わっていました。宥和に流れかけていた空気は一転して「開戦への覚悟」へと転換し、ハリファックス卿が議論を降りたからです。

 イギリスによるナチスドイツへの宣戦布告がなければ、当然のことながらモンロー主義(*6)を掲げるアメリカによる世界大戦への参戦もあり得ません。そうなればヒトラーとナチスドイツによるヨーロッパ支配はずっと後になるまで、あるいは現在まで続いていた可能性もあります。

 つまり、このときのチャーチルの「意味づけ」がなければ、世界は今とは随分と違ったものであった可能性が高いのです。

 そのようなことを考えるにつけ、決定的な局面においてこそ、リーダーには、自分たちが置かれている状況を大きなストーリーとして捉え、周囲の人に対して、自分たちの「意味」を与えることが求められるのだと思わざるを得ません。

(注)
*6 アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。この教書で示された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった。

(本原稿は『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』山口周著、ダイヤモンド社からの抜粋です)

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。ライプニッツ代表。
慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン コンサルティング グループ等で戦略策定、文化政策、組織開発などに従事。
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他の著書に、『劣化するオッサン社会の処方箋』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)、『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。神奈川県葉山町に在住。