思い返せば義務教育やそれ以降、どうしてあんなに勉強を苦に感じていたのだろう。一部の天才をのぞいて、多くの人はどこかの時点で勉学への挫折を経験している。しかし大人になった今、ある程度の時間と経済的余裕を手にして、自分から再度勉強を始める人もいる。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
大人になって初めて知る
勉強のありがたさ
多くの小・中・高・大学生にとって勉強は苦痛である。若者たちは別々の大人から「学業が本分」と身近に感じられないご高説を賜ることもあれば、「若いうちに勉強しておいた方がいい」と似たようなアドバイスを受けることがある。
よほど素直な若者であればそれに従うのであろうが、そうでない限り、実感の伴わない助言をもらってもおよそ響かない。勉強よりも遊びの方が断然楽しいからであり、勉強の楽しさ、大切さは若者には気づきにくいものなのである。
しかし大人になって社会に出てみて、「若いうちにもっと勉強しておけばよかった」と痛感するシーンにしばしば出くわす。若いころの方が、時間や脳の記憶領域に余裕があると感じられるからである。
「この後悔を後続の若者に感じさせてはいけない」と、人生の先輩は自分の体験に基づいて「若いうちに勉強しておきなさい」と若者にアドバイスを授け、そして若者にはあまり響かないという、切ないすれ違いの連鎖が続けられているのが世相である。
社会人になると時間の多くを生活していくために割かねばならないため、勉強に充てる時間がなかなか持ちにくい。が、そこを押して、浮いたわずかな余暇の時間を勉強に充てる人もいる。今回は「社会人の勉強事情」として、一般的な社会人のいくつかのケースを紹介したい。