しかしながら、(自称)クリエイティブな人たちが信奉する価値を追い求めれば会社が大きく変わり成功するという保証もない。そもそも、そういう研修に出ている人がさまざまな創造を実践できているかというと、全員がそうともいえない。ただ「自分はクリエイティブでありたい」という意識を強く持っているにすぎない、という例も散見される。

 真面目な人の「遊んでばかりいないで結果出せよ」と批判したくなる気持ちもわからなくもない。

目指すべきは
“真剣に遊べる”組織

 一般的な日本の大企業の弱みは、「真面目さ、真剣さ」と「遊び」を共存させられないところにある。つまり、「真剣に遊ぶ」、「面白くしながらも真面目に」といったようなことができないのだ。 
 
 真面目に一生懸命にという価値観で仕事をしていれば、先の計算ができ、ゴールも明確に設定できるだろう。しかし、それだけでは大きなジャンプは期待できない。一生懸命やるだけでは限界があるのだ。そしてクリエイティブな行為を否定しても、何の成果も生まない。

 一方で、固定概念にとらわれず「面白いことをし続ける」のには、実は真面目さが不可欠である。

 一見、遊びの連続のように見えるかもしれないが、その結果として達成すべき成果を実現するまでに、気の遠くなるような試行錯誤を(楽しそうに、実際は苦しく)繰り返すという厳しい局面を超えていかなくてはならない。面白そうに見える作業を、きわめて真面目にやり続けるのである。

 確かに研修の場面だけを見れば、単に話をしているだけ、絵を描いているだけ、ポストイットに何かを書いているだけかもしれない。しかし、実際の仕事では、「楽しいお遊びで終わり」というわけにはいかないのだ。面白いことを真剣にやり抜くのは簡単ではない。

 これは、ウィンストン・チャーチルの「本を書く5段階*」の作業に通ずる。チャーチルいわく、「第1段階」では、書くことはおもちゃで遊ぶがごとく楽しいものである。しかし、書いているうちに書いているものが自分を支配するようになり、それは暴君と化して自分をとりこにする。そして「第5段階」では、自分が書いているものの奴隷になってしまいそうになる。その瞬間に、この怪物(書いたもの)を殺し、公に投げ出すのだ。

 つまり、最初の楽しさをしっかりと繰り返すことと、最後の終結に向けての異常なる努力、この2つが創造作業には必須なのである。