日本は「おもてなし」の国――。そう言われて当然と思っている日本人は少なくない。しかし、日本発のアプリには、おもてなしの心が足りないのではないか。マイクロソフト、グーグルでエンジニアとして活躍し、現在は複数の企業で技術顧問を務める及川卓也氏はそう指摘する。そこで今回は、及川氏がおもてなしできないアプリを量産してしまう、日本の課題を問う。
「ダメなアプリ」では
ユーザー体験が考えられていない
海外の航空会社のアプリや旅行アプリを使っていると、大変よく考えられていて感心させられることが多々あります。それらに慣れた後で日本のアプリを見ると、「おもてなしの心が足りないのではないか」と思わざるを得ません。
なぜ日本では、そうした「ダメなアプリ」ばかりつくられるのでしょうか。
まず、ダメなアプリは、一体何がダメなのでしょうか。よくあるのは、誰の、どんな課題を解決するかがはっきりしていないのに、アプリをつくろうとしてしまうケースです。また、アプリに搭載した1つ1つの機能がいずれも成功していないのに、さらに多くの機能を盛り込んでいって「機能だけが膨れ上がる」というパターンもよくあります。
企業向けアプリの開発会社では、開発したアプリを自社の社員ですら使っていないことがしばしばあります。そうした事態に陥るのは、「そのアプリがなければ仕事ができない」というプロダクトではないからです。「このアプリは仕事に必要。それがないと仕事がしにくい」ことこそ、プロダクトのコア。「なくてもいいアプリ」とは、すなわちユーザー体験が考えられていない証拠です。
そもそも「おもてなし」とは、どういうことを指すのでしょうか。ここで、旅館のおかみさんにしてもらってうれしい「おもてなし」はどういうものか、考えてみてください。おかみさんのおもてなしとは、1人1人のお客様の情報を確認して、その人に合ったお出迎えをし、配慮をすること。つまり「感動体験の演出」です。
日本では「テック」と「おもてなし」が対立軸と考えられやすい節があります。おもてなしは生身のもの、テックは機械的なもの、といった具合です。もちろん、フェース・トゥ・フェースでのおもてなしは大事です。しかし、実はおもてなし、感動体験の演出は、スマートフォンのアプリでも実現できるものだと私は考えています。