岡田 「勝てるパターン」だけにとらわれてしまうと、状況が変わった途端に勝てなくなってしまいます。「ワークショップ」というのはもともと、そういうパターンから抜け出すためにやるもののはずなのですが、現実にはただパターンを「教育する」だけで終わっているようなものもありますよね。

ワークショップのいいところは、仕事の人間関係からいったん離れて、いろんな人と新しいことをやってみる「遊び」が許される点です。働いている人が「探索」のスキルを磨いていくという意味では、ワークショップ形式がそうした意味で有効だと思いますね。

「自分事」と「真善美」で次代を眺める

佐宗 最後に、研究者として世の中にこんなことを伝えたいというメッセージがあればお願いしたいです。

佐宗邦威(さそう・くにたけ)
BIOTOPE代表。戦略デザイナー。京都造形芸術大学創造学習センター客員教授
大学院大学至善館准教授東京大学法学部卒。イリノイ工科大学デザイン学科修了。P&G、ソニーなどを経て、共創型イノベーションファーム・BIOTOPEを起業。著書にベストセラーとなった『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(ダイヤモンド社)など。

岡田 ありがとうございます。アーティスト研究をしている者として、いまの世の中に対しては、やはりいろいろと複雑な想いを持っていますが、いちばん危機感を抱いているのは、「答えがないもの」について議論する方法を、僕たちが持っていないということです。

たとえば、個人というのはいろんな役割を生きています。企業人であり、家庭人であり、日本国民であり、地域の市民であり、誰かの子であり親でもある。こうした役割が多重的に積み重なった当事者であるということを、かなり意識する必要があると思っています。

しかし、世の中を見ていると、「自分は企業の一員としてルールに従っている。だから何をやってもいいんだ」というような行いが溢れている。そこで言われているルールというのは、ごく一部の世界で通用するものでしかありません。また、状況が変われば、そんなルールでは対応できなくなるでしょう。それにもかかわらず、誰かが決めたルールに従うことが「正解」だという風潮が依然としてある。これに対して僕は大いに危惧を抱いています。

佐宗 過去の日本は、いわゆる創造性がなくても、外の世界がつくってくれた「正解」をなぞっていればなんとかなりました。それが「絶対善」だというような付き合い方をしていればよかった。でも、創造性が一般的に開かれたツールとして普及してきたいま、ビジネスの世界でも社会的にも、「真善美」を議論したうえでの創造が求められるというのは、同感ですね。

岡田 まさに、そうした倫理(エシックス)とか道徳(モラル)について考える必要があると思いますね。そこを抜きにして目先の創造性に行ってしまうと、創造性が「悪」に走っていくようなことだって考えられます。

本来、倫理とか道徳といったものは、「サイエンス」のように客観的に決まるものではありません。社会の合意の中で形成されていくものです。だからこそ、何か特定の問題解決を行うときにも、各人が議論に参加しながら、「自分ごと」をぶつけ合っていくプロセスが欠かせない。

佐宗 「真善美」それ自体に「正解」はないわけですから、いろんな人が「自分なりの答え」をぶつけ合っていくなかで、「ひとまずの答え」を出していくしかないわけですね。しかしいまの世の中では、そうした議論のプロセスを放棄して、「決まったルールに従っていれば、それでOK」となってしまっていると。

「それが実現したとき、それは世の中にとっていいのか悪いのか」「それが実現した世界を自分は美しいと思うのか」――そうした判断基準をもって創造性を使いこなせる人が増えるといいですね。

岡田 ボトルネックになっているのは、そうやって「自分ごと」をぶつけ合うための方法論が確立されていないことだと思います。だからこそ、そこで「アート」が果たす役割は大きいと思います。アートというのは「自分ごと」を世の中にぶつける営みそのものですから。それこそが「サイエンス」にはない「アート」の強みではないかなと。

もちろん、すべての人が満足できるような「最善解」にたどり着くのは容易なことではないと思いますが、「かたい心」を持って集まった人たちが「決まりごと」だけに基づいて意思決定していくのは危険です。「自分」はどんなことを感じるのか、「自分」にはどんな景色が見えているのかを「やわらかい心」で見つめ、それをすり合わせながら問題を解決していくという態度が、これから世界の、国際社会の一員として大事になると思います。

(対談おわり)