開国を求める外国人たちが
持ち込んだ鉄道模型

 1853年、プチャーチン率いるロシアの軍艦4隻が、開国を求めて長崎に来航した。彼らは幕府の使節団を船に招き、アルコールを燃料にして走る機関車の模型を走らせてみせた。

 また翌1854年には、アメリカのペリーが2回目の来航を果たすが、この時に将軍への献上品のひとつとして持ってきたのが、蒸気機関車の模型であった。これは模型とはいえかなり大型で、地上に小ぶりな線路を敷き、アメリカ人が運転する本格的なものであった。

 1860年には、アメリカに派遣された幕府の使節団が、現地で鉄道に乗っている。また、1865年にはフランス・イギリスに派遣された使節団一行が、1863年に開業したばかりの世界初の地下鉄、ロンドンの「メトロポリタン鉄道」を視察したという記録がある。

 同じく1865年には、「グラバー邸」で知られる貿易商トーマス・グラバーが、長崎居留地の海岸通りに約600メートルの線路を敷き、イギリス製の蒸気機関車と客車2両をデモンストレーション的に走らせた。営業運転ではなかったものの、日本で初めて本物の鉄道が走った場所ということで、長崎電気軌道のメディカルセンター停留所付近には「我が国鉄道発祥の地」の碑が立てられている。

 1872年に日本初の営業路線が開業するまでには、鉄道に出合い、体験し、その役割を理解して受け入れるまでの、25年以上の助走期間があったことを忘れてはならない。

 ところで、鉄道が開業したのは「10月14日」ではなかったことをご存じだろうか。

 いまさら何を言っているのかと思うかもしれないが、鉄道が開業したのは確かに「明治5年9月12日」だった。そして、同時にそれは「1872年10月14日」だったのである。「誕生日」が書き換えられた理由は、鉄道開業後に旧暦から新暦への切り替えが行われたからである。