紆余曲折を経て長崎市が島の所有者に
眠りから覚め、再び脚光を浴びる端島

崩れた壁の間から廃墟を望む。昭和の郷愁漂う廃墟にツアー客は心を奪われる。

 閉山後、端島の所有者である三菱は企業誘致に動いたが、島の新たな買い主は現れず、時間だけが過ぎていった。島に残されたままの住居や炭鉱施設などは、高波や強風に晒され続け、朽ち果てていった。自然崩壊である。

 端島の歴史やその存在も忘れられつつあった。そして、21世紀を迎え、日本中を「平成の大合併」という嵐が吹き荒れるようになった。

 端島はもともと長崎県高浜村に属していて、行政区分では高浜村端島だった。それが1955年に高浜村が高島町と合併したことにより、高島町端島に変わった。高島町は三菱の主力炭鉱(1986年11月閉山)がある離島の町で、端島の北東約2.5キロに位置する。

 2002年に端島の所有者である三菱が、島全体を高島町に無償譲渡した。さらに、高島町が2005年に長崎市に編入合併され、端島の所有者は長崎市ということになった。

 無人島となり、長い眠りについていた端島が再び、脚光を浴びるようになった。

 九州・山口6県11市が提案した「近代化産業遺産群」が2009年1月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定リストに掲載され、その構成資産の1つとして端島の存在がクローズアップされたのである。「軍艦島が世界遺産に」との期待が高まり、島内への見学を希望する声が急増した。

 そこで、長崎市は見学コースをつくり、観光客の上陸を認めることにした。もともと、船で軍艦島に接近して眺める周遊ツアーが存在した。利用者は年間1万人ほどだったので、市は上陸ツアーの利用者数を倍の2万人程度と見込んだという。桟橋や見学通路(約230メートル)、見学広場を約1億円かけて整備した。

 上陸ツアー船を就航させたのは、地元の5社。桟橋に1隻しか接岸できないため、上陸時間は40分程度に限定された。2009年4月から軍艦島上陸ツアーが開始された。