世界陸連が禁止すれば
非公式レースの方が「速く」「盛況」に

 もう1つ、「禁止されない」と推測する大きな理由は、マラソンと世界陸連の微妙な関係だ。世界陸連は、世界の陸上界を支配・管理している形になっており、世界陸上の莫大な協賛金や放映権料は世界陸連に入る。いわば総元締めだ。

 しかし、マラソンはどうだろう? 現在、世界中で市民マラソンが開催されている。とくに有名なのは、ボストン、ベルリン、ロンドン、東京、ニューヨーク、シカゴなどのシティマラソンだ。東京でも約3万人、多いレースは約4万人が参加する。これら市民ランナーの多くは、陸連に登録などしていない。陸連の公認記録なども求めない。そのレースを完走したこと、大会が認めてくれる記録だけで十分だ。つまり、陸連の管理や支配の及ばないところで、大半のマラソンランナーは活動しているのだ。

 仮に世界陸連が厚底シューズを禁止しても、オリンピックや世界陸上を目指すエリートランナーだけがその対象となり、メーカーさえ敢然と製造し続けてくれたら、市民ランナーたちは喜んで使い続けるだろう。

 しかも、そうなった未来を想像すると、世界陸連にとってはおそらく歓迎すべきでない事態が待っている。厚底シューズが許される非公認レースと、禁止された公認レースに二分される可能性があるのだ。しかも、非公認レースの参加者は常に3万人、4万人と大盛況で、公認レースはせいぜい100人規模。しかも、公認レースの記録より、非公認レースの記録の方が遥かに速く、刺激的になる。

 キプチョゲは、もし厚底シューズが五輪前に禁止されたら、東京五輪への出場は回避するのではないか。そして、世界陸連とは無関係に開催される「厚底OK」のシティマラソンでの快走を目指すだろう。プロとしてはそれで十分に活躍できる。むしろ、ファンはそれを求めるだろう。

 厚底シューズの恩恵を得ているのは、ナイキだけではない。日本ではあまり知られていないが、昨年10月、エリウド・キプチョゲ(ケニア)が人類で始めて「マラソン2時間切り」を果たした挑戦をサポートしたのは、イネオスというイギリスの複合化学メーカーだ。

 1998年に創業以来、企業買収や合併などを繰り返し急成長した。いまや化学メーカーの世界トップ10に入る巨大企業だ。イネオスは近年、サッカー、自転車、セーリングなどスポーツ支援に力を入れている。ツールドフランスを4連覇していたチーム・スカイに代わってイネオスがオーナーになり、昨年のツールドフランスでも優勝した。このイネオスが、キプチョゲの挑戦を支援していたのだ。あのレースの名称は、『イネオス1:59チャレンジ』だった。

 それこそイネオスなどスポンサー企業が、世界陸連を離脱したマラソン組織を支援・協賛する可能性も大いにあるだろう。

『イネオス1:59チャレンジ』も、世界陸連の公認ではない。1時間59分40秒の記録も世界陸連に公認されない。それでも、「そんなの関係ねえ」とばかり、「人類史上初めて2時間を切った」事実と軽快な走りは世界に衝撃と興奮を与えた。これを成し遂げたキプチョゲに対する敬意と賛辞が世界のメディアで発信された。