細胞膜は何十億年も進化していない
これまで述べてきたように、細胞膜は、化学反応のかたまりである生物と外界を、水の中で仕切るためにぴったりの膜である。しかも、細胞が生きていくためにいろいろなドアをつけることもできる、非常に便利な膜でもある。これだけでも、生物が仕切りとして細胞膜を使っている理由は、十分納得できる。しかし、どうもこれだけではなさそうなのだ。
細胞膜に関しては、不思議なことがある。それは、細胞膜が何十億年ものあいだ、ほとんど進化していないことだ。その根拠は、現在地球にすんでいるすべての生物が、細胞膜としてリン脂質二重層を使っていることだ。つまり、現在のすべての生物の共通祖先が生きていた遥はるかな昔から、基本構造が変わっていないのだ。リン脂質二重層には、よほどよいことがあるとしか考えられない。
ちなみに、実は細胞膜の一部に、リン脂質二重層を使っていない例もある。たとえば、植物細胞では、リン脂質の代わりに糖脂質を使うことがある(糖脂質とは名前の通り、糖を含んだ脂質である)。理由はよくわからないが、リンが手に入りにくい環境の場合は、糖脂質を使えばリンの節約になるのではないか、という意見もある。
また、アーキアという細菌に似た生物の一部では、2つのリン脂質を肢の先端でつなげた構造のテトラエーテル型脂質を使っている。だから、この部分だけは、脂質一重層になっているのである。
この脂質一重層は、海底の熱水噴出孔のような高温環境への適応だと説明されることもある。高温になるとリン脂質の熱運動が激しくなり、リン脂質同士をつなげているファンデルワールス力を上回ってしまう。そのため、二つの層のリン脂質同士を、強い共有結合でつなげてしまったテトラエーテル型脂質を使うようになった、というのである。
とはいえ、高温環境にいないアーキアの中にも、テトラエーテル型脂質を持つものがいるので、はっきりとした理由はまだわからない。しかし、このテトラエーテル型脂質を持つ細胞膜であっても、大部分は通常の脂質二重層だ。
脂質二重層の一部が脂質一重層になっているだけだ。だから、膜全体の性質は、通常の脂質二重層とほとんど変わらないだろう。
このように、すべての生物が、ほぼすべての細胞膜に、リン脂質を使っている。生物はいろいろなところにすんでいるのだから、そこの環境に適応したいろいろな細胞膜が進化したってよさそうなものだ。それなのに生物は、かたくなにリン脂質二重層を細胞膜として使っている。
生物を外界と仕切りながら物質の出入りもある、いわば閉じつつ開いている膜としては、リン脂質二重層はぴったりなのだろう。リン脂質二重層は、生命活動になくてはならない土台なのである。
(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)