武漢新型肺炎の嵐に襲われる武漢。我々に何かできることはないのか Photo:Stringer/gettyimages

思い起こすSARSパニック
「臭いものに蓋」は相変わらず

 2003年春先、SARS(重症急性呼吸器症候群)の嵐が中国で吹き荒れていた。当時、航空会社は定期便を減便したり、一時休止したりと対応に追われた。外国要人の訪中やビジネスマンの商談も相次いでキャンセルされた。

 そのうち、中国人観光客の入国を一時禁止する措置に踏み切る国まで現れた。中国要人の海外訪問も延期を求められた。工場を中国に移した日本企業の多くが社員の中国出張を見合わせ、テレビ局の中国取材も白紙になった。まるで「中国封じ込め」の様相を呈していた。

 当時、私は日本のメディアに『「知情権」に逆行の政府』と題した記事を書き、「その責任はSARS伝染情報の公開が遅れた中国政府にある」と指摘した。2002年11月に感染者が現れたにもかかわらず、数カ月も真実を隠していたからだ。

 実際、中国政府の上層部はマスコミに報道を禁じる通達を出した。経済への悪影響を心配したからだ。WTO加盟の交渉を担当していた某中国高官が香港を訪問した際に、SARS関連の報道を1面に載せた香港の新聞を見て、「総人口650万人で感染者300人。騒ぐ必要はない」と批判した。危機意識がまるでなかった。

 前述の記事に、私は「経済が発展すればするほど、クリーンで透明な政治環境、公平で平等な競争環境、安全で衛生的な生活環境、迅速でオープンな情報環境が求められる。国民もこれまで以上に『知情権』(知る権利)を求める。インターネット時代だというのに、共産党の幹部は旧態依然としている」と書いた。

 メディアに情報封鎖のマスクをし、臭いものに蓋(ふた)をすれば、自分たちの手で空をも覆い隠せると信じていたようだ。渦中にあった広東省は、改革・開放の先進地であるにもかかわらず、情報公開を渋った。

 あれから17年が過ぎた今、当時私が批判したような場面や問題は、今度は湖北省の武漢に場所を移し、新型コロナウイルスによる肺炎の猛威という形で、そのまま再演されている。