牛車(ぎっしゃ)/「平治物語絵巻」より、国立国会図書館所蔵牛車(ぎっしゃ)/「平治物語絵巻」より、国立国会図書館所蔵 拡大画像表示

 史料に見るかぎり、家紋は平安時代の中ごろに貴族たちが牛車(ぎっしゃ)の車体に入れたことに始まった。系図集『尊卑文脈』には藤原実季(1035~1092)が、巴(ともえ)紋を牛車に用い始めたことが記されている。現代における自動車のナンバーやステッカーのように、自分や他者の車を見分けるためのものだったのだろう。

 これが衣服や調度品などにも用いられ、武士たちが戦場で敵味方の区別をつけるため、あるいは自家の存在を周囲にアピールするためのマークとしての意味合いを帯びていく。

 時代劇でおなじみの、武士が着用する直垂(ひたたれ)に家紋が描かれるようになったのは室町時代から。鎌倉時代の頃は大きな文様だけであったが、室町時代より自家の文様を入れた大紋直垂(だいもんひたたれ)が礼服として着用された。

源氏/笹竜胆
竜胆の花と葉を組み合わせた意匠の紋。その葉が笹に似ていることから命名された源氏/笹竜胆 竜胆の花と葉を組み合わせた意匠の紋。その葉が笹に似ていることから命名された 拡大画像表示

 有名な織田信長の肖像(長興寺蔵)は、信長が着ている裃(かみしも)に五三桐(ごさんのきり)紋が入っている。これは信長が足利義昭を上洛させ、将軍職に就任させたときに足利家から恩賞として与えられたと伝わる。天皇家や足利将軍家から下賜される菊紋や五三桐紋などは、自家の権威づけや経歴に箔をつけることにもなった。

 また各地の大名家でも、主君が家臣に家紋を下賜したり、名前に一字を与えたり(偏諱=へんい)、勲功に対する報賞としても用いられた。天下を取ったあとの豊臣秀吉は、配下の大名に自分の旧名字である「羽柴」の名乗りを許したり、桐紋を与えていた。