皆保険制度をとっている日本では、国籍に関係なく、この国で暮らすすべての人に、なんらかの公的な健康保険に加入することを義務づけている。
75歳未満の人の加入先は職業に応じて異なり、会社員は健康保険組合、公務員は共済組合、農林水産業者や自営業者などは国民健康保険に加入する。そして、75歳になると、すべての人がそれまでの健康保険を脱退し、後期高齢者医療制度に移行することになっている。
このなかで、健康保険組合(健保組合)や共済組合などの被用者保険(企業や団体に雇われている人が加入する公的な健康保険)には、「被扶養者」という制度がある。
被扶養者は、健康保険に加入している労働者(被保険者)の収入で生活している三親等以内の親族で、収入が一定以下の場合に、被保険者が所属する健康保険に保険料の負担なしで加入できる。
この被扶養者の要件が見直され、4月1日から「国内居住要件」が付け加えられることになった。背景にあるのが、外国人労働者の受け入れ拡大だ。
世界恐慌による社会の荒廃を機に
制度化された労働者の健康保険
労働者のための健康保険が作られたのは、1927年(昭和2年)。1914年(大正3年)に起きた第一次世界大戦は、日本に一時的な好景気をもたらしたものの、一方で物価を高騰させ、市民生活を大きく疲弊させることになった。加えて、日本を代表する産業であった生糸の輸出が停滞。1920年(大正9年)の株価暴落を機に、大恐慌の嵐が吹き荒れた。
街には大量の失業者があふれ、各地で労働争議が起こるようになる。当初、政府は労働争議を厳しく取り締まったものの、暴動は一向に収まる気配はなく、社会不安をなくすためには、労働者の生活を安定させなければならないと考えられるようになっていったのだ。そして、労働者保護のために制定された法律のひとつが健康保険法だ。
1921年(大正10年)、当時の農商務大臣・山本達雄は、「労働保険調査会第1回総会」で、健康保険の必要性について次のように述べている。
………疾病又ハ負傷ニ付テハ治療ノ途ヲ容易ニシテ労働力ノ恢復ヲ迅速ナラシメ、収入ノ途ヲ失ヒタル者ニ対シテハ生活費ヲ補給シテ本人並ビニソノ家族ノ生活ニ不安ナカラシメ、依テ分娩、死亡ソノ他ノ場合ニ付テモ相当救助ノ途ヲ講ズルハ労働能率ヲ増進シ、労資ノ乖離ヲ防止シ、産業ノ健全ナル発達ヲ期スル上ニ於テ頗ル喫緊事タルノミナラズ、労働者ニ対スル公平ナル待遇ヲ保障スル方途トシテ一日モ忽セニスベカラザルモノナリト信ズ。………
産業の発展には、労働者の健康や生活の安定は不可欠で、そのためには健康保険を制定する必要があることを提言。激しい労働争議の経験から、経済の成長と労働者の健康はセットであることを痛感したのだ。そして、関東大震災を経て、今に続く健康保険法が施行された。
当初、健康保険法の保障内容は、病気やケガの医療費の保障、休業期間中の所得保障など労働者本人だけを対象としたものだった。だが、労働者が憂いなく働くためには、扶養家族の健康も必要との観点から、1943年(昭和18年)には家族給付も法的に認められることになった。それが被扶養者の始まりだ。