いかがでしょう? このエクササイズ、簡単そうに思えますが、じつはかなり難しいのです。というのも、「作品とのやりとり」をしているつもりでも、多くの人はつい次のように考えてしまうからです。

「おそらく作者は○○を表現したかったのではないか?」

この考えのウラには、「『作品の見方』は作者が持っている」という思い込みが見え隠れしています。作者の意図を推測し、それを「いい当てよう」としているのです。

このような見方がいけないわけではありません。それもれっきとした1つの鑑賞方法です。しかし、今回のエクササイズの狙いは、鑑賞者であるあなたが「作品とのやりとり」をすることです。作者のことはいったん忘れて、「あなた自身がこの作品だけから感じたこと」をストーリーに落とし込んでみてほしいのです。

さて、みなさんはこの絵からどのようなことを感じ取ったのでしょうか? 「100文字ストーリー」を聞いてみましょう。

「カタカタカタ……深夜2時。ある男がスマホの画面をにらむ。この男はいまなにを見ているのだろうか? そしてなにを考えているのだろうか?」

「ここは深い穴のなか。頭上高くには小さな出口が見える。手を伸ばしても、飛び上がっても届かない。叫んでも、誰も顔を出す気配すらない。はあ……どうしたらいいんだ」

「雨の日の夜、通勤ラッシュの人混みに揉まれる私。いやというほど人がいるのに、誰も私を気にかけないし、私も誰のことも気にかけない。私はいつも一人ぼっちだ」

1枚の絵から、じつにさまざまなとらえかたができるものですね。

ここで、この作品の「背景」を種明かしすると、これはある1人の生徒が描いた絵です。作品のタイトルは《希望》――。
せっかくなので、この絵を描いた本人にも話を聞いてみたいと思います。

「中央の白い部分は、小さな希望の扉です。ふつう、『希望』と聞いて思いつくのは、パステルカラーなどの明るい色や、キラキラしたイメージだと思いますが、この絵では思い切って扉の周りを真っ黒にしました。それによって、白い部分が、より明るく輝いて見えると考えたからです。小さいけれど力強い希望が表現できたと思っています」

あなたが作品から紡いだストーリーと、作者が意図していたこととは、まったく違ったかもしれません。しかしそれでも、「ああ、そうだったのか……。そこまではわからなかったなあ!」なんて思う必要はありません。

「作品とのやりとり」は、作者とあなたがフィフティー・フィフティーで作品をつくり上げる作業なのですから。
作者の「答え」と鑑賞者の「答え」、その2つが掛け合わさることで、「アートという植物」は無限に形を変えていくのです。

■執筆者紹介
末永幸歩(すえなが・ゆきほ)

美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。
東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。
彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。