「この便器にもサインをしてください」
「それでもやっぱり、有名なアーティストがたった1つの便器を選び出して、そこに直筆でサインをしたということに価値があるんじゃないですか?」
そう考える人もいるかもしれません。歴史的遺物に認められるような価値が、この便器にもあるのではないかということですね。しかし、残念ながらその可能性は低いといわざるを得ません。
東京国立博物館にも展示されたフィラデルフィア美術館所蔵の《泉》と、デュシャンが雑誌に掲載した写真の《泉》をよく見比べてみてください。なにか気づくことはありませんか?
そう、2つの便器は形状が違っているのです。よく見ると、サインの筆跡にも微妙に違いがあるようです。
じつをいうと、東京国立博物館で人々が見ていた《泉》は「レプリカ」で、アメリカのフィラデルフィア美術館が所蔵しているものです。
デュシャンが公募展に出品し、のちに雑誌で発表した「オリジナルの作品」は、展示されることのないまま失われてしまいました(おそらくゴミと間違えられて捨てられてしまったのでしょう)。第1号の《泉》の現物を見たのは、公募展の委員ら、ごく一部の人たちだけなのです。
だとしても、なぜオリジナルとレプリカで「違う便器」を使っているのでしょう? まったく同じ形のレプリカをつくることだって容易にできたはずです。
それには事情があります。
《泉》の発表からかなりの月日が経過した1950年、美術商だったジャニスという男が、マンハッタンにある自身のギャラリーで開催する展覧会に《泉》を展示したいと考えました。しかし、前述のとおりこの作品はすでに紛失していました。
そこでジャニスは驚くべき手段に打って出ます。彼はフリーマーケットで中古の便器を購入し、デュシャンに「この便器にサインをしてくれ」と頼んだのです。
なんとも失礼なこの依頼を受けたデュシャンは大激怒した……かというと、まったくそんなことはありませんでした。彼はジャニスの申し入れに対し、(おそらく)「オッケ~」と快諾し、再び「R. MUTT 1917」とサインしたのです。
東京国立博物館で人々がまじまじと見ていたあの目玉作品、そして、みなさんにじっくりと「アウトプット鑑賞」をしていただいた《泉》は、デュシャンが選んだものですらありません。第三者である美術商の男がフリーマーケットで手に入れた「ただの中古便器」だったのです。