日本は少しずつ、確実に貧しくなっています。それでも平成の時代は昭和の遺産を食いつぶすように生きながらえることが出来ました。しかし、令和の時代はますます厳しさが増していくことは間違いありません。今はコロナのことで皆さん頭がいっぱいになっていますが、この危機が去った時にどんな経済状況が待っているのか。それを考えるとゾッとします。
日本人の貧困化を食い止めるにはどんな方法があるのか?
その一つは、一人ひとりが「投資家の思想」を持つことだと思います。これまで多くの日本人は「労働者の思想」しか持っていませんでした。しかしその思想では、もう未来がないのです。
「投資家の思想」こそが日本の未来を切り開くと私は信じています。少なくとも、その思想を持てた人は、生き残ることが出来ます。
投資をすることがビジネスパーソンとしていかに大事であるかということを知っていただきたいと思い、私は『ビジネスエリートになるための 教養としての投資』(ダイヤモンド社)という本を書きました。ここで言う投資とは、チャートとにらめっこして売り買いを繰り返すことではありません。それは「投資」ではなく「投機」です。ギャンブルとなんら変わりありません。私が言う「投資」とは、もっと大局的でビジネスの本質に関わるものです。
ミクロ的に見るか
マクロ的に見るか
今、世界中で新型コロナウイルス感染者がパンデミックに拡大していて、スペイン、イタリアでは医療崩壊とともに多数の死者が出ています。米国、英国では外出制限が政府から出ており、シンガポールは実質的に鎖国に踏み切りました。日本ではオリンピックの延期が決定されました。
この手の問題はミクロ的に見るか、マクロ的に見るかで様相が大きく異なります。ミクロ的に見れば、人の往来や行動が抑制され、消費が完全に消失するような産業もあるでしょう。資金繰りが悪化した場合、銀行に生殺与奪の権利を持たれているような企業(財務レバレッジの高い企業)は、窮地に陥るでしょう。もっとミクロに個人レベルでみた場合、自分や自分の家族、友人が生命の危機に晒され、身の周りで狂騒的なデマなども流れる中で、ますます悲観的になってしまうのが人間の性なのです。
一方で新型コロナウイルスをマクロ的に、俯瞰的に長い人類の歴史の中で捉えてみると見え方が変わります。『感染症の世界史』の著者である石弘之氏は「人類は長い歴史の中でウイルスと常に戦ってきたが、これまで1勝9敗とヒト側の負けがこんでいる。勝ったのは1977年以来発病者がでていない天然痘とほぼ根絶寸前まで追い込んだポリオぐらいでしょう。私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った「幸運な先祖」をもつ子孫であり、その上、上下水道の整備、医学の発達、医療施設や制度の普及、栄養の向上など、さまざまな対抗手段によって感染症と戦ってきました。それでも感染症がなくなることはありません。」と述べています。
ウイルスとの戦いは今に始まったことではなく、スペイン風邪、香港風邪、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年のMERS(中東呼吸器症候群)と毎回、苦戦を強いられているのです。このようにとらえると新型コロナウイルスは確かに新型ではあるものの、決して特殊なことではないということがわかります。