危機を脱した後の
「後出しジャンケン」の危うさ
5月25日、緊急事態宣言が全面解除されました。日本は医療崩壊の兆候が各所で見られた時期はあったものの、国民のみなさんのstay home、3密を避ける、手洗いの徹底などの努力により、最悪の事態は回避できたようです。
一方で、先日アメリカでは死者数が10万人を超えました。これは、東日本大震災の死者・行方不明者の約5倍に当たる数です。全世界では37万人を超えています。
数字にしてしまうと忘れられがちですが、一つ一つが命です。これだけの人生が、コロナを契機として終わりを迎えたということです。
しかも、これはPCR検査により陽性判定された人だけがカウントされた数であり、検査も受けられずに亡くなった方や、また医療崩壊により通院、入院できなくなったことにより亡くなった人を含めれば、一体何倍になるのか数えることもままなりません。
突如人生を終えなければならなくなった方の無念もいかばかりかと思います。そして、その人の家族や友人の数だけたくさんの悲しみがあふれています。人が死ぬということは、その人の存在がもたらしていた何かが失われるということです。
一方で、日本は国民の自粛によって最悪の事態は回避し、5月31日時点で国内の死亡者数891人と、世界的に見れば奇跡的な数字で持ちこたえています。まだまだ油断できないとはいえ、日本では新型コロナウイルスの最初の波に対しては、どうにか最悪の危機は脱することができたといってよいと思います。
しかし、いざ危機を脱したとなると、自粛は必要なかったのではないかという声が一部で上がり始めました。
こうした現象が一定起こることは予想していましたが、「後出しジャンケン」ともいえる批判こそ、クライシスマネジメントの大敵となり得ます。それがいかに間違っているのかを論証しておく必要があります。