津波が来なかったから
「高台への避難は無駄」なのか

 これは津波で考えるとわかりやすいです。

「津波警報が出ました。消防団に促されて、高台に避難しましたが、津波は来ませんでした」

 では、高台への避難は無駄だったのでしょうか?する必要はなかったのでしょうか? 

 その1回の結果だけ見て、高台への避難をする必要がなかったと結論付けるのは危機のマネジメントにおいて完全に間違いです。なぜでしょうか。

 津波警報が出て高台に避難するという行動をとっていれば、いつか本当に津波が来たときに助かります。一方で、津波警報が出ても高台に避難しなくなってしまえば、いつか津波が来たときには必ず死にます。

 津波警報が出て高台に避難するというのは、避難行動というよりも、それを続けていればいざというときも生き延びることができる“生存行動”と捉えなければならないのです。

 田舎道の信号を、めったに車が通らないからといって信号無視していたらどうなるでしょうか?いつか対向車が来たときに死ぬことになります。「信号を守る」という行為もまた生存行動なのです。

 先の津波の例で、「いちいち大げさなんだよ!お店を閉めて避難したが、津波なんか来なかったじゃないか!繁盛していたのにどう責任とってくれるんだ!」と言い出す人が続出したらどうでしょうか。次に津波警報が出たときに、避難しようという声は上がりにくくなります。
 
 しかし、それは「信号なんて待っても対向車なんて来なかったじゃないか!」と言うのと同様に、生存率を下げる危険行為に他なりません。

 さらにいえば、津波などの自然現象は人間に止めることはできませんが、感染爆発は人間の努力によって止めることができます。

 実際、新型コロナウイルスの成功事例ともいえる台湾では、SARSでWHOを頼って辛苦を舐めた経験から、政府、国民いずれの意識も高く、当初から独自の政策を徹底し、感染者数は5月末時点で442人、死者7人と抑え込みに成功しています。日本でも一時はどうなることかと危ぶまれたものの、国民の自粛で全体としては事なきを得ました。しかし、それはそうした努力があっての結果です。

「懸命の自粛の結果」としてウイルス災害が抑え込めたにもかかわらず、その結果だけを事後的に取り上げて「自粛の必要はなかった」と断じることは、的外れの極みです。的外れなだけならよいのですが、そうした批判はその後の適切な危機のマネジメントに悪影響を与えるものであり、助かるはずの命を失わせる契機になり得るということを十分に自覚する必要があります。結果を検証するのは大切なことですが、危機の本質をきちんと押さえているかどうかは注意深く検証すべきです。