人々の行動によって
結果が大きく変わるという前提

 京都大学教授で元内閣官房参与の藤井聡氏は、2020年5月21日に『「新」経世済民新聞』において「【藤井聡】【正式の回答を要請します】わたしは、西浦・尾身氏らによる『GW空けの緊急事態延長』支持は『大罪』であると考えます。」という公開質問状の記事を書いています。この記事において藤井氏は、「感染症の分野では、感染者数が一旦『減少』に転じたら、(状況に大きな変化が無い限り)、感染者数は『ゼロ』になるまで減少し続けることになる」という前提のもと、感染者数の増減データのグラフを読み解き、「4月7日時点での緊急事態宣言とそれに伴う8割自粛は、感染収束に対して全く『無意味』であり『無駄』であり『不要』であった」としています。

 しかしながら、新型コロナウイルスという今回のマネジメント対象の特性を踏まえると、この「前提」自体が科学論的に間違っていると言わねばなりません。

 先述の通り、「感染症の拡大という現象」は、地震や津波のような自然現象ではありません。あくまでも人々の行動によって結果が大きく変わってくる、「観察者の行動が結果に影響を及ぼす事象」なのです。

 藤井氏の主張は、1人の感染者が平均的に何人に移すのかという「再生産数」という数理モデルに基づいて展開されていますが、「人々の行動によって結果が変わってくる」という新型コロナウイルスの前提を踏まえれば、こうした数値の持つ意味や有効性も変わってきます(実際、5月25日の緊急事態宣言全面解除の発表があってから1週間後、6月2日の東京都の感染者数は34人と増加しました)。

「再生産数」に関しては、感染症の専門家である岩田健太郎氏の解説がわかりやすいと思うので引用します。

感染者や周りの人がどのようにふるまうかによって、ひとりから4人にも10人にも感染させることがあり得る一方で、ほとんど他人に感染させないままの場合もあるんです。例えばクルーズ船の中では「ひとりの人から、ものすごくたくさんの人が感染した」と推測されていますし、北海道では「ほとんどの方は誰にも感染させなかった」と推測されていて、非常にばらつきがあります。
ということは、「ある基本再生産数に基づいて、こういうモデルで計算をする」という時の「正しい基本再生産数」なんて、こと今回のコロナウイルスでは存在しないんですよ。
事後的にいうと「日本では1.7だった」という説もありますけれど、それも「ある時点での日本」の話です。日本人の行動だって変わりますから、日にちが経つに従ってある観察環境下でのR0は上がったり下がったりします。

*ベストタイムズ5月28日配信記事「岩田健太郎医師「日本で感染爆発が押さえられた要因とはなんだったのか」【緊急連載②】」より引用

 つまり、普遍的な「再生産数」は存在しないということ。加えて、人々の行動が感染症の拡大という現象に影響をもたらしているという前提に立てば、この「再生産数」を基に結果論として「8割自粛戦略は不要だった」と断じることは正しいとはいえません。

 危機のマネジメントに際しては、起こっている現象の「本質」(新型コロナウイルスでいう場合の「人々の行動によって結果が変わること」)を正しく理解することが大前提となります。そうしなければ、いかに数理的に正しかったとしても、間違った洞察を導き出してしまうからです。