私が最後の世代に近いかもしれませんが、入門しても師匠から直接教わる機会は少なく、見て覚えるという徒弟制度が主流でした。職人の世界だったんです。それまでの将棋は、様式美ともいえる定跡を見て、それを指すことで手の良し悪しを理解し、強くなっていくものでした。

 ところが、近年はそういう徒弟制度的な育成環境もなくなってきましたし、将棋ソフトも普及し始めました。以前のような、言わば手に対する美意識のようなものは失われてきているように思います。

――手に対する美意識がないということですが、AIの指す手に特徴的なものはあるのでしょうか。

 AIには、人間のような恐怖心がありません。どんなに強い棋士でも王将を取られたくない気持ちがあるので、相手が迫ってくると、怖いと感じるものです。そんな恐怖心や思い込みがAIにはありませんから、普通なら恐れをなすような手でも、平気で指してくるのです。それによって、結果的に一貫性の見られない不思議な手になることがあるというわけです。

 最初の頃は、AIが経験を重ね、厳密に計算して手を評価できるようになったら、ある局面に対してはこの手というように、一定の範囲に指し方が絞られていくと思っていました。けれども、現状はそうなっていません。

 ただ、人間には適応力がありますから、以前はひどい手に感じていたものでも、だんだん見慣れてきて、「それもアリだよね」と思えてくるのはおもしろいものです。美意識は変化していくものなのでしょう。

――次は絶対この手しかないというものはなく、思った以上に選択肢が多いのですね。

 同じ局面を何度もソフトに判断させると、必ずしも次の手が同じだったり、評価点が同じだったりするわけではありません。人間からすれば、「なぜ?」となるのですが、つまりソフトの評価ポイントは確定値ではないということです。

 プラス200点という評価が出たとしても、もしかしたら200点以上、つまり400点だったのかもしれない。200点のつもりが実はプラスマイナスゼロの価値だったのかもしれない。1年前のソフトと何万回も対戦したうえで勝ち越したから、「こっちのほうがいい」と統計的に評価点を割り出しているにすぎないのです。絶対的な数値ではなく、揺らぎのあることがわかっています。

――北陸先端科学技術大学院大学の教授でゲーム情報学の研究を行っている飯田弘之氏は、「洗練されたゲームには、スリルと遊戯性と芸術性がある」と述べています。AIから学んで定跡化が進んだ場合、ゲームの洗練度を下げることにはならないでしょうか。