盛田昭夫は「自由闊達にして」冒険心あふれる経営者だった。少なくともその心意気を失わないことを自身に課していた。それは、みずからが名付けた「ソニー」という画期的なブランド名を持つ企業を常に未来に向けて架橋するためであり、新たな可能性の海を渡ることが、世界からリスペクトされる日本人の行き方であると、世に訴えたかったからだ。

 そのためには、自身をメディア化し、演出することもいとわなかった。けっして英語が流暢だったわけではないが、何を語るべきかを明確にし、論理と情熱をもって「コンビンシング・パワー」(説得力:本人の口癖)を発揮した。アメリカやヨーロッパとの経済摩擦など、一企業経営者の枠を超えて献身的な貢献も果たした。米『タイム』誌の「20世紀に最も影響力のあった100人」で、「時代の創造者」の一人として唯一選ばれた日本人でもあった。
 

アイデアのよい人は世の中にたくさんいるが、よいと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない
       盛田昭夫

 盛田の経営スタイルは、現実の直視から始まる。大阪大学で出会った「生涯の恩師」淺田常三郎教授(当時、応用物理学の第一人者)から、事物の現象をどうとらえるか、人間と社会の相互作用を考える際の“物理(物の理を究める)”の方法論を学んだことが、経営リーダーとしての基礎を築いた。

 それは、大略2点にまとめられる。①問題にぶち当たった時に「一番根底にある根本原理」をつかまえれば「その問題を解決する方法がわかってくる」こと。②「物事を一番簡単に説明する方法を見つける」こと。

 前者①は、常にフィールドに出て現実を「社会生態学者のように観察」し、問題の構造を立体的に解析、常識に囚われないで最善の解決策を見出すことを意味していた。

 トランジスタラジオの売り込みに単身アメリカへ渡った時には10万台のOEM注文を毅然として断り、海外拠点の構築が必要と判断すれば家族とともにニューヨークに移り住み、経営者みずから海外駐在員第1号となった。急成長したソニーが学歴重視に陥ると「学歴無用論」を打ち出し、VTRをめぐりハリウッドの大手映画会社から訴えられた著作権侵害訴訟では連邦最高裁まで争い、アメリカの大衆を味方につけることで日本のビデオ産業を守った。

 後者②は、①と密接に関わっている。それは、いかにわかりやすいコンセプトで人々に訴求するかということだ。前述したベータマックス訴訟では「タイムシフト」というコンセプトが現地の共感を呼んだ。海外では別々の名前で発売されていた携帯音楽プレーヤーを世界共通の「ウォークマン」に統一したのも、市場創造を重視したコンセプトメーカーとしての面目躍如たるところだ。

 そして特筆すべきはモチベーターとしての人間的な能力である。「経営者の手腕は、いかに大勢の人間を組織し、そこから個々人の最高の能力を引き出し、調和の取れた一つの力に結集しうるかで計られるべきだ」。その言葉通りに、部下の意見に耳を傾け、いかに社員の力を引き出すか、率先垂範で闘いながら、たえず人間としての気配りを忘れなかった。

 「ソニーは、ソニーカルチャーというものを世界中のいいところを合わせてつくり上げようとしております。本質は変えてはならないのであり、変えるべきところと変えてはならないところをはっきりと認識しておりませんと、革新という美名のもとに、せっかくの大事な本質が失われることがあります。日本の世界企業のあり方というものは、ソニーがつくらなければならないと思っております」。志半ばで倒れた盛田が語るそんな日本型グローバル企業を、私たちはこれからつくっていかなければならない。


●構成・まとめ|森 健二
●イラスト|ピョートル・レスニアック
*謝辞|本イラストレーションの制作に当たっては、ソニー広報部にご協力いただきました。